2013年10月4日
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ堂でございます。
夢の里の近隣の「水満田古墳公園」(みつまたこふん)の遊歩道を歩きながら 自然体について考えていました。
ストレスと緊張と過密さと複雑さが日常になっているわたしたちにとって自然体 とは「失われたもの」なのかもしれません。
何度か生死の境をとおってきたやまねこにとっては、自然体は必修科目です。
無意味な緊張や過度な刺激を求める心は、自然体をなくしたときに始まります。
そもそも「努力すること」と「必死になること」はまるで違ったことです。
「精進する、努力するということは淡々と目標に向かって進むことです。 一歩ずつ着実に計画通りに、規律を持って進むことです。
一方、必死になることは追われる者の心です。そして、目標に対してよりかかる ことです。何かを切望し、今の自分がそれを持っていないことにプレッシャーを感じる。 首を切られた鶏のように大慌てで走り回る。それが必死になるということです。」(『サイレント・パワー』スチュワート・ワイルド)
わたしたちが自然体を失ってしまうのは、不安と緊張の隙間にいるからです。
それは、競争することから来ています。何であれ、競争とは不安と緊張をかき立てます。
自分や他人の影と抗うと自然体を失いやすいのです。
やまねこは日頃から競争に勝つ・・ということが不可能に近い時代かなと思っています。
誰も人工知能よりも大きな記憶容量は持てないですし、処理スピードはかないません。 競争相手は常に人ではなく機械の現代では、競争は疲弊とシステム依存をもたらします。
それよりも共生や助け合い、創意工夫と人間的なアクティビティを高める方がより良き ツールを得ることができます。
スティーブ・ジョブズが気づいたのは、発想の転換であって 容量・性能・スペックの競争から脱するという方法でした。
それは、長年親しんだ禅の教えから着想したのだと言われています。
使いやすさ、シンブルさ、ナチュラルさをデザインと共に機能に組み込んだアイパットや アイフォンが自然体から生まれたのだというのも象徴的ですね。