2008年3月8日
ニュー・ロマンサーの神秘学は、これからどこへ向かうのだろうか、と考えています。
わたしは神秘学を人生の基本としてかれこれ30年近く生きていますが、風変わりな生き方かもしれませんね。(^o^)/
ホテルに泊まるときは職業欄は必ず「魔法使い」と書くことにしています。
これは洒落で通るみたい。(^o^)
知人の議員さんの議会傍聴に議場に入るときに「魔法使い」と書いたら、「これではパスしませんよ」と言われ「精神科学研究所」と書いたらパスとのことでした。
やれやれ、それほど意味は変わらないと思うのですが、オフィシャルな場では言葉変われば品変わるというものでしょうか?
場所柄はともあれ職業選択の自由ですよね・・・・・。
魔法使い」を職としてもいいじゃないの?
20世紀最大の魔術師と言われたアレイスター・クローリーは、その著書『魔術~理論と実践』の中ですべての人のための魔術を提唱しました。彼の言葉を使えば・・・
「作家のための魔術、線路工夫のための魔術、詩人のための魔術、音楽家のための魔術・・・」というくだりがあります。そして魔術とは「思いのままに現実を変える手法」であると定義します。
そして、意志のもとにおける愛を魔術の術式として「テレマ」と呼びました。
彼によれば黒魔術とは奪い取るものであり、白魔術とは与えるものだというのです。
とはいえ、当時はビクトリア朝の禁欲主義の時代でしたから、彼は黒魔術師と誹謗されました。
ヨガやタントリックな東洋趣味な部分が特にウケませんでした。
大英帝国全盛の植民地時代でしたから、インド、アジアの宗教なんて悪魔教という偏見が強かったのです。そのように時代が変わっても品変わるということなのでしょう。
さて、現代の魔法使いは何をすればいいかを考えています。
クローリー流にいえば、ネットとパソコンとモバイル・ツールを聖杯・ペンタグラム・杖としてネット・システムを魔術の術式として、現実の中に変化を引き起こすことが魔術ということになるのでしょうか。
クローリーの『法の書』は1914年に発表されましたが、92年前のことですね。
人間が『意志の力』を発達させる時代が来たことを宣言する神秘学書として、今も読まれています。
大地の女神よ
天空の女神の顕現
天界のキャラバンの序幕
テーベの戦う主よ
われを常に汝の家僕で あらせ給え・・・
法の言葉は テレマ(意志)
愛こそ 法なり
意志のもとにおける愛は
『法の書』黄金の夜明けの魔術より