フラー・ドーム・ハウスの魅力

ドームハウス
フラー・ドーム・ハウス初号機 建設が進む二号機
『今治市 ドーム・ハウス組み立て』 施工 上弘

2011年5月31日

はい、どっと・みっどないと(=^o^=)やまねこでおます。
ライフ・デザイン研究所のサイトの総仕上げに入っています。

『フラー・ドーム・ハウスの魅力』
フラー・ドーム・ハウスはナチュラルな白いキャンバス
フラー・ドーム・ハウスは、「癒しのエコ・ハウス」であると同時に多目的ホール、店舗、オフィス、ギャラリーとしてもフレキシブルな受容性を発揮してくれます。 「住むこと」と「仕事すること」と「アートすること」をほどよく調和させてくれる家。 ロハス・ライフを志向する人たちには魅力的なナチュラル・ハウスでもあります。
家族を守る安心空間としてのシェルター・ハウス。
ゆるやかなコミュニティ空間、ヒーリング空間、アートを楽しむアトリエ。
居住型オフィスで、デザインやモノ作りに勤しみ、音楽を楽しみ、畑づくりやロハスな仲間が 集う家としてフラー・ドーム・ハウスは自由なキャンパスを与えてくれます。 ナチュラルな白いキャンバスに「あなたの夢」を描いてみませんか?


『家族を守る家~シェルター・ハウス』
フラー・ドーム・ハウスは、天球を三角パネルで構成した家です。 圧縮力と引っ張り力が拮抗する構造は、耐震強度面からも多方向からの外力にも安定した強度 を保ちます。その開放的な構造は、家族や仲間が集うコミュニティ空間性や、人の心を安定させるヒーリング性も持ち合わせ、理想的な音響空間ともなります。
また、エコロジカルであることとエコノミカル(ローコスト)であること を両立するノウハウを結集して いるのです。 これまで国内では高級住宅・輸入住宅として扱われてきたドーム・ハウスですが、ライフ・デザイン 研究所では、ローコストかつハイ・クォリティなナチュラル・ハウスとしてのドーム・ハウスを提案します。
バックミンスター・フラー博士が提唱したシナジェティックスという思想は、本来「汎用性の高さ と安価な技術の両立」をめざすものでした。

フラー・ドームとの出会い 
今からおよそ、27年前学生時代の頃のことです。最近定番のお宅青年のハシリであったわたしは、今で云うスピリチュアル=精神世界にはまっておりました。 初期の精神世界は今のお手軽スピリチュアルとは違ってかなり緻密な思想性があります。アメリカのカウンター・カルチャーや哲学・科学思想、東洋思想、心理学や民族文化などを背景にオルターナティブなパラダイム・シフトを志向するものでした。 わたしが大学に入学した1980年は松岡正剛さんや横尾忠則さんがメディアに登場して、それまでの全共闘世代とは一線を画する個人主義、ポスト・モダン・アートや精神的なカルチャーの草創期でした。 予備校時代に仏教やシュタイナー、グルジェフなどの西洋オカルティズムと 東洋思想に傾倒していたわたしは、松岡さんの出身校である早稲田大学哲学科 をめざし入学しました。オタク青年よろしくナイーブかつ内向的なわたしは 大学生活にも適応できず、ノイローゼに悩みつつも鬱々と神秘学の密やかな 世界に浸っていたのです。 さてさて、そんな折、松岡正剛さんとならんで今も深く尊敬するおおえまさのりさんに出会いました。おおえさんは、70年代にニューヨークで映画作家として活動し、帰国後『チベットの死者の書』を翻訳し、当時「いちえんそう」というワークショップを手掛けるエコロジスト&アーティストさんでした。 おおえさんは、バックミンスター・フラー博士とその思想に深く共感していま した。ある時、フラー博士が来日するということで講演会に連れて行ってくれ ました。フラー博士は、高齢で1982年の来日の翌年に亡くなりましたが、来日時も精力的にご自身の思想をとつとつと語りかけていたように記憶します。
フラー・ドームとの出会いは、その頃のことでおおえさんの紹介でフラー研究家の芹沢さんからフラーの思想の魅力を伝えられ、初めてシナジェティックスを体現する数学モデル ジオデシック構造体とフラー・ドームに触れました。当時、別荘用の輸入住宅として日本で初めて導入した会社は、E社でした。輸入総合商社エレクターは、フラー博士を招へいしたスポンサーでもありました。 そんな縁もあって、わたしは新宿のE社に日参して周囲の仲間たちにフラー・ドームの魅力を伝えることにハマりました。わけもわからず、それが自分の使命のように思われたのです。 E社さんに案内されて訪れた富士山麓のモデル・ハウスは直径18メートルもあるものでした。 アメリカン仕様なのですべてが大きめの開放的な空間を体験できます。オプションはバブル前夜時代を反映する高級キッチンやジャグジーなどが設置されていました。当時、晴海見本市の出品価格は3000万円近くでした。
わたしのファナティックとも言えるフラー・ドーム・ハウスへの思い入れはそんな青春時代の出来事に端を発しているのでしょう。今でもこの二十年間に 愛媛で出会った人と久しぶりに会い、ドーム・ハウスのモデル・ハウスを建てたことを伝えると『青春の記念碑の実現だね!』との返事が誰からも等しく帰ってきます。おそらく100人は下らないでしょう。明けても暮れても出会う人すべてにドーム・ハウスのことを語りかけていたせいです。
そうなのです。わたしは、フラー・ドーム・ハウスの地球型の住まいとその コンセプトに取りつかれた「地球型人間」とも言えるものなのです。


丸い球体の住まいでスロー・ライフを試みる・・・・四角い家という既成概念 を破壊して、大地に足をつけた暮らし方は、ナチュラルでありながらも何処か 未来的なもの、宇宙的な世界を志向しています。フラー・ドーム・ハウスは、わたしにとってカルチャー・クリエイティブなコンセプトのシンボリックなモデルとも言えます。 人間が道具を手にした瞬間から文明は生まれます。 それは、ひょっとして『2001年宇宙の旅』における類人猿が投げた獣の骨の進化した形態・・・・ジオデシック構造なのかもしれません。 このドーム・ハウスのメッセージは人間は、未来に向かう動物なのだということなのかな?と考えています。

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