魂のオルガノン

2013年9月4日

はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
長雨は、秋の入り口のような感じでそぞろに「内なるもの」に誘いますね。 読書の秋、アートの秋でおまふ。
「魂」について考えていました。魂的・・・ということは、内面的問題です。
ユングは、人間を内向的・外向的と大別して、魂の傾向を思考・感情・感覚・直観 の四象限でタイプ理論を提唱しました。内向的思考タイプ、外交的感情タイプと 言ったように八つの魂の傾向を分析したのです。
「魂の問題」は、現代人にとっては謎と言えるかもしれません。
ギリシャの哲学者プロディヌスをめぐる論考を読んでいました。 神秘学の太祖です。
「人間の中に魂があるのではなく、まず魂があり、その中に人間はあるのだ」という考え方だ。これはまったく正しい。だが、この基本的なことを完全に理解するのは、そんなに簡単なことではない。わかってみればそんなに複雑なことを言っているわけではないのだが、近代世界の常識から抜けだせないうちは、『魂の心理学』は何を言っているのかさっぱりわからない本になるだろう。だがこれは面白い。名著である。私は三回くらい読んだ。それから『世界に宿る魂』も、プロティノスの言う「世界霊」を復活させようと言う試みでなかなか冒険的でよろしい。でもヒルマンにもかなり限界はある。ヒルマンは「魂」をはっきりととらえた。ウィルバーでさえも「魂」というものはあいまいな理解しかしていないので、その点はヒルマンの功績なのだが、あろうことか、ヒルマンはそれ以上の、つまり魂というレベルを超える宇宙領域があることを否定しているのである。これでは半分の真理である。ウィルバーも、ヒルマンも長所と欠点が混在する。私の『魂のロゴス』はそれらをふまえてそれを超えるヴィジョンを考えたものだ。」
世界の魂の中にわたしたちは存在する・・というテーゼ。
わたしたちは目を通して世界を見ます。目は光の器官なのです。
「万物(霊魂、物質)は無限の存在(善のイデア)である「一者」(ト・ヘン)から流出したヌース(理性)の働きによるものである(流出説)。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。」
一なるもの、善なるもの、内なるものから流出した世界にわたしたちはいるという直観は なんと東洋的でしょうか。 「内なるもの」について考えるやまねこでありました。

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