ロハス・ライフと哲学

2011年11月2日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおますよ。
ロハス・ライフの思想的バックボーンについて考えています。

『メタフィジカル』や『14才からの哲学』で知られる哲学者 池田晶子さんは2007年に癌で逝去されましたが、死の直前まで死刑囚と往復書簡をかわしたり『死にかた上手』という著作を書いたりしていました。ここに哲学者としての真骨頂があると思います。
美貌の独身の哲学者という触れ込みで文筆活動を行い、エッセイ等においても既婚である事実や配偶者に触れることは全くなかった。肉親(両親)に関する話題はあったが、むしろ愛犬を話題とすることのほうが多かった。夫とは、子供は絶対に産まないという条件で結婚したとされる[4]。
晩年は『週刊新潮』の『人間自身』(以前は「死に方上手」というタイトルだった)、『サンデー毎日』で『暮らしの哲学』を連載するほか、『HANAKO』で人生相談の回答者としても登場していた。 アカデミズムとは一線を画したが、『14歳からの哲学―考えるための教科書』の出版を機に、中学校や高校に赴き「存在について」「考えるということについて」などの主題について講演を行った。
2007年2月23日、腎臓ガンのため46歳の若さで逝去。死の意味について語り続けた当人が、早すぎる死を受け入れざるを得なかったという劇的な運命と悲劇性に世間の同情と注目を集めた[誰?]。 没後、夫の伊藤實を理事長としてNPO法人「わたくし、つまりnobody」が設立され[1]、(池田晶子記念)わたくし、つまりnobody賞が創設された。 今日、彼女の著作のほとんどが、絶版されずにゆっくりと版を重ね続けている。(ウィキペディア)

子供たちや大衆に哲学の必要性を訴えつつ、淡々と死を迎えること。
これは、現代と言う哲学不在の複雑系社会への彼女なりのプロテストなのかな、とやまねこは思っています。
何のための生活? 何のための仕事とお金、何のための豊かさ、何のための人生、そして存在?とこの哲学者の死が問いかけているように思えるのです。
わたしたちが日々受け入れている日常世界とは何なのか、その意味とは?

そんなことを考える暇もなく流れてゆく時間の洪水と複雑な社会。
自らが作ったシステムの中で自分を見失い、自分の生きる指針をなくしたわたしたちにとって池田さんの死は、ひとつのメッセージのような気がするのです。

『考えることを放棄して人はどこへ行こうとしているのか?』
そんなことを考えながら、やまねこは『猿の惑星~ジェネシス』を見に行こうかなと思います。

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