心の体操4

人生に疲れた人へ 其の弐 加藤諦三

2010年3月13日

はい、こんばんは。(=^o^=)やまねこです。 いつものようにメンタル・ヘルス・ケアについて考えましょう。
『心の健康については、その評価は容易ではなく、さらに、心の健康問題の発生過程 には個人差が大きいため、そのプロセスの把握が困難です。また、すべての労働者が 心の問題を抱える可能性があるにもかかわらず、心の健康問題を抱える労働者に対し て、健康問題以外の観点から評価が行われる傾向が強いという問題があります。』 (「厚生労働省 メンタル・ヘルス・ケアに関する指針」)
自殺者3万人と言う数字にびっくりした厚生労働省は、メンタル・ヘルス・ケアに関する内閣府からの通達に応じて、職場や家庭環境における「心の健康」に関する調査 と改善指針を公開していますがこのような「心の健康問題」と言うとらえ方をしてい る様子です。
こういうものは、「こんにゃく問答」と言って、何がなにやらわけのわからない混乱 した発言と言われてもしかたないでしょう。要するに心の健康問題は、わからない・ ・手がつけられないほど複雑で因果関係がはっきりせず、労働者の心の健康問題は 個人差があるから、判断しにくいと厚生労働省は言っているわけです。
明らかに精神科医やカウンセラーなど現場担当者の声からは遠い問題のとらえ方 ですね。そしてタイトル文字のRelaxというロゴだけがやたら巨大なホームペー ジでありました。
自殺者の数字、職場の精神疾患の数字グラフだけは、かなり緻密にアップされていま す。 わたしは、シンプルに「心の健康問題はストレス環境問題」だと考えています。 仕事環境、家庭環境、教育環境、自然環境などなど人間にとってはすべてストレスを もたらす環境であることは明らかです。 人間は生きてゆく以上、何らかのストレスにさらされるものですし、またストレスを 通して、生産的行為や精神的健康を守ることができるのは、自然なことでしょう。 どんな生活にも困難はともないますし、どんな仕事もストレスがあります。人が生き るということはストレスとつきあうと言い換えてもいいのかもしれませんね。
ただ、ここで問題にしたいのは、ストレスにも過度なものと適度なものに分かれると いうことです。 生活習慣病などの身体的な病気に直結するストレスや鬱病などの心の病気につながる ストレスがあります。これらを過度なストレスと呼ぶことにしましょう。 その一方適度なストレスとはわたしたちが日々喜びとしたり、乗り越えるべき ハードルとするストレスです。 勿論、この二つをはっきり線引きすることはできま せんが、とりあえず「望まれたストレスと望まないストレス」とでも言うことが できるでしょう。 そして、望まれないストレスの第一位は「職場の人間関係のストレス」であると思っ ている人は多いでしょう。 そして第二位は「家庭の人間関係のストレス」ではないでしょうか。 つまり、日々の暮らしを共にする人間関係はまず念頭に浮かぶストレス要因なのです 。 なぜならそこにはわたしたちの心の問題が集約される舞台のようなものだからです。
社会生活、個人生活、利害関係、愛情関係、道徳、好き嫌い、義務、権利、欲望、夢 、期待、失望依存、相互扶助、分かち合いなどなどが複雑に関わる人間関係・・・ そして「わたしの心の問題」がもっともはっきりとストレスとして自覚される舞台で もあります。 そんなストレス環境である人間関係を何らかの形で営みながらわたしたちは生活して います。
人間は社会的動物ですから、完全に孤立したノーストレス状態はありえません。 他人と接することなく完全孤立した場合、幻覚や妄想が現れるのもこのことの端的な 結果です。
さてさて、この砂漠のような孤独社会でいかにして「メンタル・ヘルス・ケア」をこ なして、「わたしの心の問題に向かい合うか?」をゆっくり考えて見ましょう。 厚生労働省みたいに個人差があって、判断できない・・・などということはないでし ょう。 なぜならば、私たちは孤独に生まれて、孤独に生きて、孤独に死んでゆく存在だからです。
メンタル・ヘルス・ケアはわたしたちひとりひとりか楽しく暮らし、過剰なストレス を軽減してクリエイティブで適度なストレスに変えてゆく『知恵』のようなものと思 っています。


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