アクセルとブレーキ

読経をするチベット僧

2009年6月17日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこどす。
わたしたちの心は、自動車のようにアクセルとブレーキを持っているとよく言われます。
何かをするために意志を働かせるときは、アクセル。思いとどまり、熟考したり、思案したり、判断を働かせる時はブレーキということなのでしょう。
メンタル・ヘルスを考える時はこのアクセルとブレーキを思い浮かべます。
何故ならば、わたしたちの社会は日常がとても錯綜としており、スピード感があり、様々な車が行きかう、さながら人間交差点に生きているからです。
アクセル、ブレーキ、ハンドリングを繰り返す煩雑な生活を繰り返しているとやがて疲労感、徒労感にとらわれることもしばしばではないでしょうか。

さてさて、やまねこはこのアクセルとブレーキのどちらが大事か?テーマについて考えていました。
ハンドリングという行動原理・判断は人様々でしょうから、置いておくとしてアクセル=行動が先か、ブレーキ=思案が先か?ということです。
わたしは、まずアクセルなのだと考えています。チベット人もおそらくそう答えるでしょう。
昨日読んだ「仏教的生き方入門」に著者のチベット人友人の言葉がでてきます。
『チベット人はあまり、後悔と言うことをしないようだ。すでに起こってしまったことについては、比較的すんなりと受け入れてしまう。
「心配しているだけでは、何も変らないよ。自分が動いてみて、はじめていろいろなものが動き出す。』
行動を起して初めて結果が得られるのであって、あれこれと思案して堂々巡りに陥らないように・・・ということなのでしょう。
これは、チベット人に得意で、日本人に不得意なことなのかもしれません。
わたしたちは、心のブレーキが効きすぎるようなのです。中には、ブレーキが壊れたような人もいますが少数派でしょう。多くは優秀なブレーキのためにアクセルを踏んでも進まない『お人好し・熟慮タイプ』なのではないでしょうか。
少し自分勝手にアクセルを踏み込む、軽く行動に移してみる、済んだことにとらわれず、後悔しないというチベット人の楽天性に学ぶのがいいかもしれません。
ブレーキが効き過ぎて、自分を抑えすぎ、ストレスに悩むよりは、一歩踏み出して新しい経験の中に飛び込むほうがきっといい展開をもたらしてくれるはずです。
やまねこ(=^o^=)でした。

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