やまねこ式 発想法

2008年12月9日

はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこどす。
今日は、やまねこ式発想法についてです。
わたしたちは、日常的には習慣によって守られています。
いつものように朝起きて、新聞を読み、洗面・朝食、いつものように出かけます。
日々のマンネリズムは、嫌われる一方で日常の土台でもあるのです。
しかし、時としてそんな日常にどうしようもなく閉塞感を抱えてしまうこともよくあることです。
それは、発想が、凝り固まっているんですよ。ひとつの発想は一定の論理構造を持っていますから内容は変わっても、そのフレーム・ワークは同じものなのです。
皆さんは、水平思考と言うのをご存知でしょうか? 子どもたちの遊びの発想やミステリーやパズルの発想法と言われるものです。
「水平思考」はエドワード・デボノという数学者が提唱しました。
垂直思考が論理的にどこまでも深くまっすぐ穴を掘り進むような思考方法であるのに対し、水平思考とは、浅くあちらこちらにたくさん穴を掘るような思考方法であるとのこと。
現代では、垂直思考的な事象を突き詰めることはコンピュータが代行してくれるので、人間は新しい問題解決の方法を考えることが必要になり、水平思考によってその答えが得られるのだと説明しています。
水平思考は、論理的にステップを踏んで考えることをあえて放棄し、偶然のひらめきのようなものを意識的に作り出す思考方法なのです。
システム社会、マニュアル万能だからこそ、そんな水平思考をしてみるのもいいかもしれませんね。
時折、幼稚園で子どもたちの遊びを観察しています。積み木や園庭での遊び、友達との遊びなど眺めていると確かに子どもたちは水平思考をしているようなのです。それは、論理や理屈を知らない子どもたちの特権ともいえるような発想法なのでしょう。
たとえば、人は常に「自分の判断は正しい」と考えがちです。他人とのすれちがいや誤解は多くはこの発想から来ています。こういう理詰めの見方は、狭い思考パターンの中に私たちをとじこめる面もあります。
「もし、今あるわたしの発想がすべて間違っているとしたら・・・」と考えてみることもいいのではないでしょうか。わたしたちは「習慣の束」という側面があるのですから、一度それを離れることによって柔軟な思考領域に自分をスライドさせることもできるのです。
ランダムな考え、中途半端、いいかげん、行き当たりばったり、でたらめと捨てていたガジェットの屑カゴを覗き込んでみるのも楽しい作業かもしれませんね。
子どもたちは大人の「合理的思考」にはおかまいなしに様々な好奇心と発見を楽しみます。
わたしたちも、時には日常の「わたしは正しい」を離れて、探し物をするように「わたしは間違っている」と開き直って、間違い探しのゲームをしてみるとふとひらめくものに出会えるかもしれません。
やまねこ(=^o^=)でした。

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