2007年10月14日
ストレスによる心の病というのは、多いでしょうが、ストレスで身体的な病気ともなりますね。
それだけ人間は「心の動物」ということでしょう。心で受けたストレスが精神的病理となる可能性よりもむしろ身体的病気のほうがむしろ多いのかもしれません。胃腸障害は典型的に「心因性」が多いといわれています。精神が臓器という物質・身体的組織を破壊しうるということなのですが、考えようによっては凄いことです。精神力でガラス・コップを手を触れず破壊したらサイコ・キネシスということになります。われわれは手をふれず胃腸を壊せます。
それほどにストレスの「パワー」はオカルト的なものを秘めているのかもしれません。問題はそれが創造的な力ではなく多くの人を苦しめる病気の元であるということでしょう。
「破壊的な力は、同時に創造的な力でもある」という言葉がありますが、それほど破壊的なパワーであるストレスを創造的なものに変化させられたら、病気の元は元気の元になりえます。すべてのストレスをというわけにはいかなくとも「一部」でも活用できたら・・・と願うのです。
一定の緊張やストレスは、人間に必要なものです。「生きるがための基本的ストレス」というものは人間にとって確かに元気の元、意欲の源泉ではあります。しかし、ここで言うストレスは、過剰なストレスが破壊性のものになるということです。そして、その過剰性・複雑性のストレスの多くは「人間関係」から来ると思うのです。
人間関係をうまく円滑に営めないとストレスを感じます。人間は心の動物であるのと同様社会的な動物でもあるからです。
さて、ここで人間関係から来るストレスを減衰させる工夫を自分なりに考えて見ました。
1.人間関係はうまくいかないのが当然と考える。なぜならば相手もおなじ「心の領域」をもっているから。心の領域には不思議があり、それを知ることは困難と考える。これは、相手のことを相手にまかせるという姿勢を意味する。
2.人間は常に変化している。変化しているもの同士の関係はまた変化してゆく。ストレスはこの変化を受け入れがたいことから起きることが多い。自分が変化して行くことを認めれば他人の変化は気にならなくなる。
3.自分ができることに専念する。人を生きることはできないのだから、できること以上に望まなくなる。距離感覚を培えば、依存と自立のスタンスがはっきりしてくる。自立しているとはある程度の依存を相手から承認してもらうこと。
4.孤独でいることを楽しむ工夫が必要。孤独は孤立ではなく、気晴らしの人間関係を必要としなくなる。孤立感が時として依存心を深める。これは最終的にストレスにしかならない。
5.孤独に慣れると、そこが静かな空間になる。それは人間関係を創造的に営むためのアトリエになりうる。自己への理解を深めることが他者を理解するガイドになってくれる。
6.否定的感情の多くは自分の中から来ていると考える。人はその出口を作ったに過ぎないと考えると感情のクリアに役立つ。
7.喜怒哀楽を表現することに躊躇しない。怒りは抑えない。怒りの合法的表現力・・アサーションのノウハウを軽く身に着ける。これは人間関係に風通しを作ってくれる。
人間関係は、無限に多様なものがありますから、これはあくまでわたしの場合のメンタルな工夫です。
わたしたちは、知らず知らずストレスの原因を他人に移動しがちなのですが、本質は「誰かのせいで」ではなく「何かのせいで」ストレス感情を抱くのだと思います。それは自己と他者、内と外、孤独と社会の間にあるものと考えると「観察」する機会を得たことになります。
多くのネガティブな感情は観察の光を当てると減衰するという傾向があります。