2008年9月3日
はい、やまねこです。(=^o^=)
またまた、「ひきこもり」について考えています。
厚生労働省/国立精神・神経センター精神保健研究所社会復帰部による 「ひきこもり」の概念
「ひきこもり」は、単一の疾患や障害の概念ではない
「ひきこもり」の実態は多彩である
生物学的要因が強く関与している場合もある
明確な疾患や障害の存在が考えられない場合もある
「ひきこもり」の長期化はひとつの特徴である
長期化は、以下のようないくつかの側面から理解することが出来る
生物学的側面
心理的側面
社会的側面
「ひきこもり」は精神保健福祉の対象である
斎藤環の統計調査・分析による「社会的ひきこもり」の特徴
調査時の平均ひきこもり期間は39ヶ月(3年3ヶ月)
圧倒的に男性に多い
とりわけ長男の比率が高い
最初に問題が起こる年齢は、平均15.5歳
最初のきっかけとしては「不登校」が68.8%と最も多い
問題が起こってから治療機関へ相談に訪れるまでの期間が長い
家庭は中流以上で、離婚や単身赴任などの特殊な事情はむしろ少ない
※調査対象者は次の条件をすべて満たす80例(男66例女14例)。初診時の年齢が12歳から34歳(平均19.8歳)、調査時点で13歳から37歳(平均21.8歳)。 (ウィキペディアより)
・・・とまあ、一般の理解としてのひこきもりはこういうことなのだそうです。
要は、社会生活に困難をきたすほどに自分の生活エリアが狭まり、社会と没交渉な生活をしているということなのでしょう。
しかし、わたしはこの見方に少し疑問を持っています。
メンタル・ヘルスの項でも、度々書いた事ですが、会社なり学校に通い一定の公共的、オフィシャルな生活が可能な状態が健全で、ひきこもりが不健全かというと必ずしもそうはいえません。
ひきこもらないでいられても、心に問題を抱えた人、社会生活に問題を抱えた人は大多数だからです。
専ら経済的な生活を支える・・つまり就職するというライフ・スタイルをスタンダードとした場合は確かに引きこもりは、標準的ではないのでしょうが、そのいう見方は高度成長期のものにすぎません。
就職・就学万能のスタンダードなライフ・スタイルはすでに崩壊しているのが現在の社会です。
終身雇用が崩壊し、学歴万能が崩壊し、正規雇用が部分化しつつある現在の状況で、彼らを落ちこぼれと考えるのは、かなり古い見方と思います。
そもそもひきこもって何の問題もないのです。「学校人間・会社人間になれなかった人はひきこもりだ。」とレッテルを貼る側の問題ではないでしょうか。
かといってわたしはスタンダードな生き方を否定するつもりはありませんが、人間と言う『孤独な存在』を見つめる機会を得ている引きこもりの子どもたちに共感を寄せているだけなのです。
孤独をまぎらわせるための社会生活もあっていいのかもしれません。
また、経済生活のための就職も正規雇用も必要なことではあるのでしょう。
しかし、孤独もまた人間にとって大切な生きるための資本なのだというのがわたしの考え方です。
「わたしだけがこの地上で孤立した存在である」と感じることは、言葉の正統な意味での「自我を意識する体験」なのではないでしょうか?
「生まれいずる悩み」とは、自我の誕生に向けての生みの苦しみであって、目先の就学や就職といったステイタスの問題ではないような気がします。
わたしたち大人は内的自我の確立を通して、社会に参加してきたはずなのですから、そのプロセスの最中にある若者たちにもっと共感してもいいのではないでしょうか。
この砂漠のような社会の中で「生きる知恵」はひきこもりの子どもたちの中にこそ育ちつつあるような予感を持っています。
ひきこもり塾 やまねこ(=^o^=)でした。
ひらきこもりのすすめ 2.0』 渡辺浩弐 著 (講談社BOX)1200円(税別)
~ひきこもれ、そして、ひらきなおれ~
渡辺浩弐さんの「ひらきこもりのすすめ2.0」を読みました。ゲーム・ラボGTV代表を務めつつ小説、ライターとしても活躍するITトレンド先端の人です。NHKのドラマ「ハゲタカ」を見ながら読んだ本なので、何かと現在のメディア・レボリューションについて考えさせられました。(下記参照)
彼によれば「ひきこもりけっこう、むしろひきこもって開き直れ」とのことです。これを「ひらきこもり」と言うらしい。IT企業の先端の人の特殊な考え?というのは誤解で、読んでみるとなかなかスパイスの効いたエッセイです。100万人とも言われるひきこもりは決して『怠けている消極的人間』ではなく、彼らの中から次世代を担うクリエーターを生む温床だというのです。それを社会復帰させて就職させる一方の発想はナンセンス。彼らが就職すれば、100万人が職を失うだけだ・・・この社会はすでに「労働至上主義」という価値観よりもずっと先を行っている。むしろ、就職しないで生きつつ、新たなメディアの可能性を構築することのほうが時代の急務とのこと。これは、価値の転換ですね。
怠け者と勤労者という「江戸時代の価値にしがみついている日本人」という渡辺氏の批判は確かに一理あります。これだけリストラし、合理化し、省力化してしか利益を確保できない企業とは果たして「生産的組織」と言えるのかという発想です。
今の社会、簡単に餓死したりする心配はありません。若者たちは直感的に「生きにくい複雑系社会の本質」を見抜いているのです。大量生産・大量消費・高度成長の時代ははるか過去の遺物なのですから時代に合った価値をひとりひとりが多様に探索しつつ、自由に、クリエイティブに自分の生きる道を切り開いてもいい時代にはっきりと入っていると思います。
彼の会社は常にひきこもりの若者たちの中からゲーム・クリエーターを発掘しています。問題が問題を生む・・というサイクルからの脱出の思考が感じられました。