アモールとプシュケーの物語

アモールとプシュケー

2008年6月4日

はい、こんばんは。(=^o^=)
「愛の神」というと、キューピッド。
毎度、食卓でおなじみ、マヨネーズにもなっている可愛らしい神様ということになっております。

別名エロ―スともアモールとも呼ばれていますね。(=^o^=)

今日は、ローマ時代の『黄金の驢馬』に伝えられる「アモール(エロ―ス)とプシュケー」の物語です。

「アモール・とプシュケー」
地上の人間界で、王の末娘プシューケーが絶世の美女として噂になっていた。アモールの母アプロディーテーは美の女神としての誇りからこれを嫉妬し憎み、この娘が子孫を残さぬよう鉛の矢で撃つようにアモールに命じた。
だがアモールはプシューケーの寝顔の美しさに惑って撃ち損ない、ついには誤って金の矢で自身の足を傷つけてしまう。その時眼前に居たプシューケーに恋をしてしまうが、アモールは恥じて身を隠し、だが恋心は抑えられず、魔神に化けてプシューケーの両親の前に現れ、彼女を生贄として捧げるよう命じた。
晴れてプシューケーと同居したアモールだが、神であることを知られては禁忌に触れるため、暗闇でしかプシューケーに会おうとしなかった。姉たちに唆されたプシューケーが灯りをに当てると、アモールは逃げ去ってしまった。
アモールの端正な顔と美しい姿を見てプシューケーも恋に陥り、人間でありながら姑アプロディーテーの出す難題を解くため冥界に行ったりなどして、ついにエロースと再会する。この話は、アプレイウスが『黄金の驢馬』のなかに記した挿入譚で、「愛と心」の関係を象徴的に神話にしたものである。
                      (ウィキペディアより)

神々や人間のハートを射る「恋の神」であるアモールが不覚にも、自ら恋に落ちてしまうというお話は、西洋の文人たちによってこよなく愛されてきました。
この神話自体が、人のハートを射る力があるようですね。
人間の王の娘であったプシュケーは、惨めな運命に翻弄され、神々から幾多の試練を受けますが、最後には、恋するアモールの元に神々の仲間として迎えられ、結婚をゆるされます。
アモールと離れ離れになり、旅をして、身をやつして恋人をさがすプシュケーの姿は、いかにも痛ましく惨めです。
それでも、プシュケーはあきらめず、アモールの母であるヴィーナスの元に趣いてアモールとの再会を求めます。
ヴィーナスは「芥子と粟と麦粒の山をより分けよ、とか金羊毛を取って来い。」などと無理難題をふっか けてプシュケーを打ちのめそうとします。
どんな困難にも屈せずプシュケーは試練を乗り越えて、ゼウスの仲介でアモールとの再会を果たし結ばれる展開は感動的ですね。

さてさて、プシュケーとは、「人間の心」をさしています。
心理学のpshychologyとは、「プシュケーの学問」ということです。
この神話は、人間の心が神々の世界の中心・・愛の神を求めて、世界をさまようという永遠のテーマに触れているだけに多くの人々の「プシュケー」をとらえるのでしょう。

予定通りの恋に落ちる人はいません・・・・。

確かに何かにハートを射られたように恋するのでしょう。

エロスの神もまた不覚にも自らを射て、人間の心に恋をしてしまったというところが、深いお話ですね。  やまねこ。やまねこ。(=^o^=)

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“アモールとプシュケーの物語” への2件の返信

  1. なるほど、「不覚にも」という所がミソなんですね。そういう読み方もありましたか!

    キューピッドの矢もたまに外れてとんでもない相手に恋をしたりする事もあるようです。笑

  2. 意外なところに矢が飛んでいくというのが、恋の面白さですね。私は、あちこちに飛んでいきましたが、かすってばかり。的を射たら、オカルト道に入っていました。🤣

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