メンタル・ヘルス14~豊かになるための物語

花巻 宮沢賢治記念館
花巻 宮沢賢治記念館

2008年2月19日

健全に暮らすということが難しい世の中なのかな?と思います。
なにやら社会は、複雑系? 複雑なことを複雑に考えるととなんだかインテレクチュアルな感じでいいのかなあとも、思うのですが・・・残念、天然のわたしにはその頭脳はありません。
複雑なことも単純素朴にやりすごすほうが、いいのかもしれません。
昔、信州にある神父さんがいて農園修道院を営んでいました。何度か訪れ、神父さんの講話に耳を傾けました。
彼は、『言葉には2種類あります。モノことばとコト言葉です。わたしたちは、本来の コト言葉を失い、モノ言葉に埋もれているのです。』と語ります。日々、瞑想と祈りと農作業に専念する神父さんなのですが、最近彼の言葉を思い出します。もう、25年くらい前のことなので記憶の片隅ではあるのですが、確かにそうだなあと思えるのです。
わたしたちは、物語的な言葉・・流れのなかでつながりひとつのストーリーを生んでゆくような言葉を失い、点在する散文的なオブジェクトに囲まれ、言葉すらもオブェになっているのかもしれません。
陳列される数々の言葉、イメージ、出来事、人、情報・・・そんな中で全体としてのつながりある「わたしという物語」を無くしているのかもしれません。おそらく神父さんはその物語性を「コト言葉」という風に呼んでみせたのでしょう。
『人間の根底にあるものは、だだ、ただ、静かな光なんですよ。その光を感じていられたら、言葉は ひとつひとつ物語りになるんです』・・・・これを宗教者の特別な言葉と思うとしたら、それこそがコト言葉をモノ言葉に置き換えたことになるのでしょうか?
人間の生活は、さほど立場・人・心境によって大きくことなるものではなく、もっとシンプルなものに 根ざしているのかもしれません。
自分が使っている言葉の物語に、少し耳を傾けたほうがいいかもしれませんね(^o^)/

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