2008年2月9日
わたしが小学生の頃は「学研のおばちゃん」と「ヤクルトおばさん」が出現した時代でありました。わたしは、学研の「科学と学習」との熱心な読者でありましたが、正確には付録のファンといったほうがいいかもしれません・・・本誌の内容の記憶はあまり、残ってないもの(^o^;)
「アリの巣作り観察キット」「アンモナイト・レプリカ石膏と型」「水車」「針穴写真キット」などなど
少年にとっては垂涎ものの企画商法にハマっていました。地球ゴマってしっていますか。
糸の上を綱渡りするコマなんですが、遠心力を観察するものでした。低学年はやじろべーが面白かったのを覚えています。ジュースの王冠、牛乳瓶の蓋、貝集めなども熱心にしたものですが、学研の付録も結構なテーマ・パークだったような気がします。
さて、今日は「やじろべー」です。えんぴつの頭の上でもバランスをとれるのが不思議でした。
不安定なところでも、ゆっくりとその調和点を見つける物理の力が子供心に謎を感じさせたものです。
私たちの心にもこのやじろべーはあるのではないかというのが、最近の感慨です。
毎日いろいろな出来事があり、様々な人に会い、喜怒哀楽、平常時もあれば、突然の出来事もあります。
日常というものは、変化と安定の間を行ったり来たりです。また、わたしたちの感情も多少のアップダウンを繰り返しながら、日々の暮らしを続けているのではないでしょうか。われを忘れることもあるでしょうし、怒りや憂鬱に囚われることもあるでしょう。期待を持ったり、不安を持ったり、考え込んだり迷ったり・・・心の安定を失わせることは生きていれば無限にあるものなのは、当然かもしれません。
ただ、それが固定されることはなく、しばらくすると平常の心に戻ります。時間とともに調和点を見出すことができるのです。わたしはこれを「心のやじろぺー」と呼んでいます。
最近、多いメンタルな問題はこのやじろべーの機能が、故障を起した状態て゛はないかと思っています。
そんなことを考えているとふと、小学校の理科の実験で左右の腕の長さを変えたり、錘の重さを換えてバランスが取れるか試したことを思い出します。
左右の腕の長さは、違ってもいいんですよ。
それはそれで、そのままにしておいて錘の重さを調節すればバランスはとれます。それが、個性というもの・・・心の姿勢のとりかたにも通じるような気がしています。