2013年4月11日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ庵でござります。
数寄屋だの侘びさひだのとレトロなお年頃となってきた灰だらけのやまねこでおます。
また、冷え込んで一度掃除した薪ストーブを焚いていました。 冷え込んだり、ぽかぽか陽気だったり、いいかげんな感じでいいですね。
最近、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の味わいがわかるようになりました。
「先年、武林無想庵が巴里(パリ)から帰って来ての話に、欧洲の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でもランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加(アメリカ)と日本であろう。日本は何でも亜米利加の真似をしたがる国だと云うことであった。無想庵の話は今から四五年も前、まだネオンサインなどの流行り出さない頃であったから、今度彼が帰って来たらいよいよ明るくなっているのにさぞかし吃驚(びっくり)するであろう。
それからこれは「改造」の山本社長に聞いた話だが、かつて社長がアインシュタイン博士を上方へ案内する途中汽車で石山のあたりを通ると、窓外の景色を眺めていた博士が、「あゝ、彼処に大層不経済なものがある」と云うので訳を聞くと、そこらの電信柱か何かに白昼電燈のともっているのを指さしたと云う。「アインシュタインは猶太(ユダヤ)人ですからそう云うことが細かいんでしょうね」と、山本氏は注釈を入れたが、亜米利加はとにかく、欧洲に比べると日本の方が電燈を惜し気もなく使っていることは事実であるらしい。」
コンビニの煌々とした明るさは、谷崎が嘆いたころからすでに80年になります。
アインシュタイン来日は大正11年ですから、ずいぶん古くから「明るい夜」を電気でまかなう 癖があったようですね。
先月、愛媛を訪れ、内子町で町並み保存の基調講演をしたアレックス・カーさんは揶揄します。
「『人類が宇宙に移り住む時代が来たら、日本人は一番スムーズに宇宙での生活に慣れるでしょう。その理由は宇宙には、木、草、花、鳥、動物、美術、文化的な街並みなどないからです。 宇宙船の中、あるいは月の上の殖民基地はアルミと蛍光灯の世界です。他の国の人たちは時々自然の森や生まれ故郷の美しい街並みを思い出して、地球に帰りたくなる。けれども、、日本人は日本を思い出してもアルミサッシ、蛍光灯、空に聳える鉄塔、コンクリートとガラスの町しか思い浮かばないので、月面での生活とそう変わらないはずです。』アレックス・カー著『美しき日本の残像』より
陰影に満ちた美しい東洋美を求めて日本を訪れる外人さんは「コンビニ」という珍語を覚えて 帰るそうです。ヨーロッパにもなかなか見つからない二十四時間照明の不夜城というわけです。
小雨の降るにごり絵のような風景、春の寒気に静まり返る夢の里 コンビニと便利と電気と照明のひしめく日本の陰翳礼讃は、どこにあるのかなと考えています。
アレックス・カーさんがスライドで紹介してくれた「ふれあい大好き」のシリーズを想い出し ていました。全国の街角にあふれる看板のコレクションです。 ふれあい広場、ふれあいカフェ、ふれあい市場、ふれあい酒場、ふれあいカラオケ ふれあい温泉、ふれあいデイ・サービス、それあいメモリアル・ホール、ふれあい墓場