ドーム・ハウス愛媛創生に向けて

ドームハウス
ライフデザイン研究所(ドームハウス愛媛)

2011年11月21日

環境とは自己以外のすべて
宇宙とは自己を含むすべて
自己とは環境と宇宙の境界 
『宇宙エコロジー』バックミンスター・フラー

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
生活の質的な充実、ミニマム・ライフについて考えています。
クォリティ・オブ・ライフという考え方は、癌治療などの終末期医療の中で提案された 『患者にとって生きる意味を尊重する』という医療現場からの発想を発端としていますが これは、死を前にした患者さんばかりではなく、わたしたち社会全体のありかたに関わる 問題でもあります。
多くの労務問題、教育問題、生活問題、経済問題の中からこのテーマをはずして行った結果が、 現代の殺伐とした社会であることはだれの目にも明白・・という深刻な反省から、量的判断 としてのライフ・モードを質的な問いかけに転換する観点なのでしょう。
悲しいことに私たちの社会は「人間を排除する」側面があることは否定できません。 人間よりもシステム優位な社会だからです。
システムに妥当しない人間は必要としていない ということは、つまり機械的な生き方や量的な価値が優先するということです。
時間・コスト・効率・利益という要素に中にバラバラに分割された人間とは、所詮「生きる 意味」よりも「生活維持装置」として役割のほうが大きいということでもあるでしょう。
しかし、『何のための生活維持なのかを考える時間を奪い取るしくみ』がすでに組み込まれている のがこの社会の恐るべき落とし穴です。
これは、決して「強制ではなく自由選択」なのですから自己責任ということになるのです。
「仕事の意味、生きる意味を考えてはいけない。」と誰からも指示されることなく、心のゆとりを 失っているのだとしたら・・また同時に誘導尋問のように見えないシステムにコントロールされて いるのかもしれないとしたら、これはゆゆしき問題ですね。
生活のクォリティは、いつのまにか 年収や勤務評定、労務管理などの量的判断にすり替えられているのです。
もちろん、こうしたしくみからドロップ・アウトする自由はあります。しかし、それは勇気のいる 決断かもしれません。 ドロップ・アウトする場合は「道なき道を生きる勇気」と「ペナルティに耐える忍耐」が必要と なります。
ライフ・デザインという思考は、そんな「自己責任型社会」でシステム優位によって阻害された クォリティ・オブ・ライフを回復する試みでもあるのでしょう。
わたしたちは、生活維持コストとしての労働と「生きる意味」という天秤をより調和あるものに するためにも「ライフ・デザインという知恵」を必要としているのかもしれません。
夢の里のライフ・デザイン研究所とは、そんな生活の質的な転換の試みを学んでゆきたいと 考えています。また、個人の試みに終始することなく、それぞれの知恵を持ち寄って、助け合い ながら、ともに育て、作りだす楽しみを大切にしてゆきたいのです。

ライフ・デザイン研究所 やまねこ拝

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