2010年8月28日
はい、どっとこ・モーニング(=^o^=)
やまねこは、旅の疲れを癒し、ごあいさつ廻りを済ませ ライフ・デザイン研究所のワークに取り掛かっています。
最後に旅のスケッチをひとつ。東京から飛騨高山へ、そして帰途の名古屋で『甚目寺観音』 (じもくじかんのん)さんに一泊の宿を提供していただきました。このお寺は、なんと創建千四百年の古刹 です。
寺院縁起によると・・・ 『伝承によれば、推古天皇5年(597年)[1]、伊勢国[2]の漁師である甚目龍磨(甚目龍麻呂)が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音様が網にかかり、その観音像を近くの砂浜にお堂をたてお祀りしたのが最初という。この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるという。龍麻呂は、自らの氏をもって「はだめでら」と名づけた寺堂をたてたが、これは、「波陀米泥良」と書いた。「甚目寺」と書くようになったのは、中世からであるらしい。』
善光寺と大宰府と並ぶ秘仏の観音様が祀られているというのです。 そんな古刹の由来をA夫妻から聞かされながら、院内の釈迦院に宿をとりました。
甚目寺を支える法花院の若住職にお話を聞く機会がありました。若住職さんは、甚目寺法花院を継ぐ 前までスリランカで学生生活をされていたとのこと。スリランカ仏教やチベット仏教について、僧侶 としての立場から興味深いお話が次々とあふれるように語りかけます。
この釈迦院では、チベット寺院タルタン寺の林先生の仏教講座も定期的に催されています。 時代の流れに沿って新しい寺院仏教のあり方を模索する若住職の意欲のようなものを感じました。
熱田神宮の草薙の剣のパワーをいただき、秘仏の観音様の寺院で一宿を過ごし、ゆるやかな気分で 愛媛に帰ってきました。今朝から、夢の里とべにも秋風が吹き始めました。