2007年10月1日
稔りの秋、読書の秋、食欲の秋、衣替えの秋となってきましたので、しばらくメンタル・トレーニング゜につとめたいと思います。
日本人は、メントレ、筋トレが昔から好きです。
鍛錬する・・・ということに魅力を感じやすい日本人。
形から入る日本人ならではの趣味かな、と思います。茶道、華道、弓道、書道、剣道、柔道、国道、県道、四国遍路道まで、鍛錬の道を歩きたがるものです。
形は・・・型に通じ、型を真似ることから初め、だんだん慣れて型が身につくと、今度は型破りをします。型がこわれて、もう一度型に戻り、礼を身につけ、作法を身につけ、何もなかったようにすべてを忘れます。
忘れてしまうのなら、なんであんなに鍛錬したのか?というになるのですが、[型にはまる]という表現もあるように「型」というものが良きお手本であると同時にメンタルな自由をしばるものでもあることをわたしたちは知っているからです。だから、何事もなかったように忘れるのです。
中島敦の小説に「名人伝」というのがあります。弓の名人の物語です。
はじめ、ある男が弓の名人に弟子入りします。師匠は、弓をいることをさせず様々な修行をさせます。
「まばたきをするな」「蚤を見つめ続けよ」などなど弓にさわらせることもしません。
男は瞬きをしないで機織をする妻の太ももを見つめて一月・・瞬きをしなくなります。
さらに蚤を見つめて3月・・・蚤が大きな虫に見えてきます。
師匠は「やっと準備がととのったようだな」と弓の奥義を伝授します。
師匠のもとで弓の修行を納めた男は、名人の腕をすでに得ていたのです。
ここで、男に邪心が芽生えます。師匠を弓で射れば、自分が名人になれると思うのです。
隙を伺って師匠に弓をいるのですが、名人同士ですから、師匠も弓で射かえして、二つの矢は相殺するばかりです。
男はみずからの邪心を恥じて、師に懺悔します。
師は、男に「邯鄲にわたしの及ばぬ達人がいる。そこを尋ねよ」と諭します
長い旅の末、男は達人に出会います。
達人は「弓を射る間は弓ではない。不射の射こそ道である」と語り、山頂から鳥めがけて「弓を射る動作」をします。手にはなにもありませんが、なんと鳥は射られたように落ちてきます。ここにいたって男は「奥義」がなんであったか悟り故郷に帰ります。
都では男は弓の達人として知れ渡ります。泥棒でさえ彼の屋敷には殺気を感じて避けるほどです。
数十年男は、弓を射ることなく弓の達人と恐れられます。
老年期を迎えた男をある客が訪ね、四方山話をしているうち部屋のすみにあったある道具を指差して男は客に尋ねます。
「この道具は何と言うものかな。」
「ご冗談でしょう」客はからかわれていると思い、それは『弓と言うものです』と答えます。
男は弓を手にとって『おお、これが弓と言うものか』
日本の男は一芸に秀で超人の域に達するのに憧れるんですね。
或る忍者が毎日タワシで身体を擦り、次には軽石でとだんだん硬いもので皮膚を鍛えて最後には剣山で擦って血を流していたら全身の皮膚が甲羅の様になって手裏剣が刺さらなくなったということです。
(もちろん嘘でしょう 笑)
「道を究める」ということを最近聞かなくなりました。
私が30代に習っていた華道の先生は「芸事50年」と良くおっしゃっていましたね。茶道は「お数寄者」として私達華道の生徒に教えて下さっていました。ご近所の普通の主婦でしたが、亡くなる半年前まで、震える声でお稽古してくれていました。戦中派でしたね。
現代は年俸○億円を目指して努力する人はいても、
淡々と鍛錬を続けている人は少なくなっている気がします。
ミトラさんは間違いなく昭和の人ですね。笑