ジオデシック山猫軒2

ドームハウス
ライフデザイン研究所(ドームハウス愛媛)

2011年1月29日

はい、どっとこ・もーにんぐ(=^o^=)やまねこでおます。
先日、設計士コッシーさんとウェブ デザイナーTさん、薪ストーブのH社長とフラー・ドームの同好会を作ろうと相談していました。
そこで、やまねこはフラー博士やドーム・ハウスとの出会いのライナー・ノーツを書いてみよう と思いました。明けても暮れてもフラー・ドームだった青春時代を思い出していたのです。
『今からおよそ、27年前学生時代の頃のことです。最近定番のお宅青年のハシリであったわたしは、今で云うスピリチュアル=精神世界にはまっておりました。 初期の精神世界は今のお手軽スピリチュアルとは違ってかなり緻密な思想性があります。アメリカのカウンター・カルチャーや哲学・科学思想、東洋思想、心理学や民族文化などを背景にオルターナティブなパラダイム・シフトを志向するものでした。
わたしが大学に入学した1980年は松岡正剛さんや横尾忠則さんがメディアに登場して、それまでの全共闘世代とは一線を画する個人主義、ポスト・モダン・アートや精神的なカルチャーの草創期でした。 予備校時代に仏教やシュタイナー、グルジェフなどの西洋オカルティズムと 東洋思想に傾倒していたわたしは、松岡さんの出身校である早稲田大学哲学科 をめざし入学しました。
オタク青年よろしくナイーブかつ内向的なわたしは 大学生活にも適応できず、ノイローゼに悩みつつも鬱々と神秘学の密やかな 世界に浸っていたのです。 さてさて、そんな折、松岡正剛さんとならんで今も深く尊敬するおおえまさのりさんに出会いました。
おおえさんは、70年代にニューヨークで映画作家として活動し、帰国後『チベットの死者の書』を翻訳し、当時「いちえんそう」というワークショップを手掛けるエコロジスト&アーティストさんでした。 おおえさんは、バックミンスター・フラー博士とその思想に深く共感していま した。
ある時、フラー博士が来日するということで講演会に連れて行ってくれ ました。フラー博士は、高齢で1983年の来日の翌年に亡くなりましたが、来日時も精力的にご自身の思想をとつとつと語りかけていたように記憶します。 フラー・ドームとの出会いは、その頃のことでおおえさんの紹介でフラー研究家の芹沢さんからフラーの思想の魅力を伝えられ、初めてシナジェティックスを体現する数学モデル ジオデシック構造体とフラー・ドームに触れました。当時、別荘用の輸入住宅として日本で初めて導入した会社は、エレクターでした。輸入総合商社エレクターは、フラー博士を招へいしたスポンサーでもありました。 そんな縁もあって、わたしは新宿のエレクターに日参して周囲の仲間たちにフラー・ドームの魅力を伝えることにハマりました。わけもわからず、それが自分の使命のように思われたのです。 エレクターさんに案内されて訪れた富士山麓のモデル・ハウスは直径18メートルもあるものでした。 アメリカン仕様なのですべてが大きめの開放的な空間を体験できます。オプションはバブル前夜時代を反映する高級キッチンやジャグジーなどが設置されていました。当時、晴海見本市の出品価格は3000万円近くでした。
わたしのファナティックとも言えるフラー・ドーム・ハウスへの思い入れはそんな青春時代の出来事に端を発しているのでしょう。今でもこの二十年間に 愛媛で出会った人と久しぶりに会い、ドーム・ハウスのモデル・ハウスを建てたことを伝えると『青春の記念碑の実現だね!』との返事が誰からも等しく帰ってきます。おそらく100人は下らないでしょう。明けても暮れても出会う人すべてにドーム・ハウスのことを語りかけていたせいです。
そうなのです。わたしは、フラー・ドーム・ハウスの地球型の住まいとその コンセプトに取りつかれた「地球型人間」とも言えるものなのです。
丸い球体の住まいでスロー・ライフを試みる・・・・四角い家という既成概念 を破壊して、大地に足をつけた暮らし方は、ナチュラルでありながらも何処か 未来的なもの、宇宙的な世界を志向しています。
フラー・ドーム・ハウスは、わたしにとってカルチャー・クリエイティブなコンセプトのシンボリックなモデルとも言えます。 人間が道具を手にした瞬間から文明は生まれます。 それは、ひょっとして『2001年宇宙の旅』における類人猿が投げた獣の骨の進化した形態・・・・ジオデシック構造なのかもしれません。 このドーム・ハウスのメッセージは人間は、未来に向かう動物なのだということなのかな?と考えています。
ジオデシックやまねこ軒 加藤英雄  1980年~2011年』

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