2008年6月27日
ここはお四国なので、「スピリチュアル」というとまずお遍路さん。
そして弘法大師の聖地というイメージなのですが、弘法大師の教えとは密教(秘密の教え)ということになります。
一番札所 霊山寺さんのホームページに「お四国遍路の心得」とともに密教のわかりやすい解説が載っていますので、一度ご覧ください。
それは、秘密主 大日如来の教えとしての真言密教の中心となる「秘密曼荼羅十住心論」です。
「秘密曼荼羅十住心論」
第一住心 異生羝羊心 ( いしょうていようしん )
善・悪を弁えることのできない迷いの心。
自我に囚われ、自己所有への執着を常に胸中に懐いている状態。
第二住心 愚童持斎心 ( ぐどうじさいしん )
道徳の教えにより人間としてやや善なる心がきざしはじめる心。
第三住心 嬰童無畏 心 (ようどうむいしん )
戒めを守り、来世の安楽だけを願う世界。
仏の戒めを知り、来世に良い生まれ変りを望む心。
第四住心 唯蘊無我心 ( ゆいうんむがしん )
自我に実体はないことを悟る心。
声聞 ( お釈迦様の言葉を聞いて悟る者 ) の境地。
第五住心 抜業因種心 ( ばつごういんしゅしん )
全てのことが因縁よりなると悟り、無明を取り除く心。
縁覚 ( お釈迦様のように、前世からの善行や誓いにより、ひとり修業し悟る方 )の境地。縁覚を独覚、辟支仏とも言う。
第六住心 他縁大乗心 ( たえんだいじょうしん )
縁に囚われず、慈悲の心を全ての人に起こし、他者の救済のためにはたらく心。
第七住心 覚心不生心 ( かくしんふしょうしん )
物質に実体性がない(無我)だけではなく、自分の心に起こることも、実体がなく、本来不生であると悟る。 三論宗の境地。
第八住心 一道無為心 ( いちどうむいしん )
白蓮花のような『法華経』の教えによる精神統一」という瞑想にはいって、人が本来もっている徳性は汚れに染まらないと観想し、全ての人の心が清浄であると知る。法華経の境地。
第九住心 極無自性心 ( ごくむじしょうしん )
仏は空の悟り(無為)がまだ究極ではないことをさとす。華厳教の境地。
第十住心 秘密荘厳心 ( ひみつしょうごんしん )
機根 ( 信仰心と能力のある ) を持つ者を、法界マンダラに入れしむ。真言密教の境地
(一番札所 霊山寺 ホームページURL:http://www.henro.jp/より)
わたしたちの心の成長、悟りへの道筋を十の住心に分けて解き明かしたのが十住心論です。
密教ですから最後の秘密荘厳心は、言葉で表わしたり、形だけで示すことは出来ず深秘密な境地として口伝と儀軌と法統のなかでしか伝わらないとされています。
さらりととらえるとひとつひとつ階段を登るが如くに段階を経て悟りに近づいてゆくように思われますが、本来は人はみな第十住心である秘密荘厳心を秘めた存在ですから、一住心から九住心のいずれにも秘密荘厳心の働きは含まれており、反射しているものと言われます。
つまり、迷いや苦しみの中にあっても「悟りの働き」からは決して離れてはいないのです。ただ、私たちの心が曇っているためにその働きを受け取ることができない・・とされます。ちょうど雨や曇りの日も天空では太陽の光は降り注いでいるようなものでしょうか。
お大師さんは(四国ではこう呼びます)、『即身成仏義』の中で
法然に 薩般若を具足して
心珠心王 刹塵の過ぎたり
と語りかけます。わたしたちの心は、あるがままにあれば宇宙的叡智がこの身このままで備わっておりその働きは、無限・無数に広がっているということなのです。
問題はみずから心を閉じて自分の迷いの思いを雲のように沸き立たせて光を見まいとするわたしたちの「心の習慣」にあるのかもしれません。
いずれにしても天地自然は目覚めた曼荼羅世界として悟りを表現するものとされます。
そしてこの四国の自然はそんな曼荼羅世界を空と海と風光のなかに描き出す天然のマンダラとして弘法大師が歩んだ聖地なのだと思っています。
やまねこ(=^o^=)v でした。