アート・オブ・ライフ

松山市街

2008年11月10日

はい、どっと・こむにちは(=^o^=)やまねこです。
昨日から急に冷え込みましたね。もうしばらくすると町ではジングル・ベルが聞こえ始めて年末の坂道にかかります。2008年という歳が、終盤に近づいてゆくのです。
わたしもブログを始めて早くも18ケ月が過ぎました。時の流れは早く、移ろい行くものだな、と感慨深く思います。
さてさて、インド旅行に向けて、今週末はチベット仏教講座を控えていますので、気を引き締めています。年明け一月末からブッダガヤ、ベナレス、カトマンズの聖地巡礼の旅です。
日本に仏教が伝来したのは、そもそもインドのルンビニーにお釈迦様が生まれたことに遡ります。誕生して、お釈迦様は三歩歩いて『天上天下唯我独尊』と語られたといいます。
『わたしこそは、世界の発端であり、わたしこそはそのよりどころである』という意味なのでそうです。
お釈迦様の悟りの法印といわれる『諸法無我』・・・世界に我なるものはなし・・という言葉と対をなす言葉ですね。一見、矛盾していますが、ここに仏教の核心があるような気がします。
『わたしという謎は、縁起としての空である』という真理が語られているということなのでしょう。
わたしたちが、日々思うように「わたしのもの」など何一つないということは客観的な事実です。すべては、時間と共に移ろい去ってゆくものだからです。それを諸法無我というのでしょう。
しかし、同時に『自灯明、法灯明』ともいいます。『自らを灯りして、真理を灯りとしなさい』とのお釈迦様の臨終の言葉も残されています。
「私を灯りとして、真理に照らす」とは、「我が物は何一つない、暗闇の世界に法の灯りを灯すこと」だということなのでしょう。
仏教とは、自らを照らす・・というシンプルな教えかな、と最近思っています。
生きているという単純な事実を受け入れて、「わたしにとどまる」ことができれば、自らを灯りとすることができるのでしょう。
法は、あまねく照らすものですから、私たちの心が澄めばいつでも、太陽のように月のように注がれているのかもしれません。

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