2010年5月13日
はい、どっとこ・こむばんは(=^o^=)やまねこどす。
大工さんたちとハウス・ビルドの 毎日です。今日は「はばき」や「まわりぶち」をめぐって、大工さんのお話を聞いて いました。三十年来のキャリアの大工さんですが、「住まいを創る」ことにかけては 深い知恵と経験を秘めた方です。
大工さんのお話に耳を傾けていると・・・・・ まるで人体のように「家」を見ているような気がしました。ひとつひとつの間接、筋肉 皮膚について語っているように思われるのです。
『暗がりの中の美 だが、いったいこう云う風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか。西洋にも電気や瓦斯(ガス)や石油のなかった時代があったのであろうが、寡聞な私は、彼等に蔭を喜ぶ性癖があることを知らない。昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代りに全身が透きとおっていると云う。そんな些細な一事でも分るように、われわれの空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえガラスのように明るくする。その他日用のあらゆる工藝品において、われわれの好む色が闇の堆積したものなら、彼等の好むのは太陽光線の重なり合った色である。銀器や銅器でも、われらは錆の生ずるのを愛するが、彼等はそう云うものを不潔であり非衛生的であるとして、ピカピカに研き立てる。部屋の中もなるべく隈を作らないように、天井や周囲の壁を白っぽくする。庭を造るにも我等が木深い植え込みを設ければ、彼等は平らな芝生をひろげる。かくの如き嗜好の相違は何に依って生じたのであろうか。案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自(おのずか)らなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って已(や)まない。』
これは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の一説ですが、日本人の住まいの美学の本質について、驚くべき 視点から語っています。「影の堆積の中におのずからなる美を発見する」とは言い得て、妙というべ きかな。
日本家屋の「木と土と紙の家」とは、すなわち大地と森と植物から成るナチュラル・ハウスという ことです。
わたしたち日本人の住まいの感性とは、陰翳礼讃と言われるように 「光と影のあわいに発見される」ものなのかもしれませんね。