2007年10月13日
メンタル・ヘルスについて、思うことを少し書いてみようと思います。わたしは心理学の専門家ではありませんので、異論、間違った点もあるかもしれませんが、わたし自身の自らのメンタル・ヘルスにつ いてのお話としてお聞きください。あくまで「独断と偏見」にもとづいたものかもしれませんので、ご了解ください。
わたしは、自分のことを「心の病の巣窟」と考えています。あらゆる種類の心の病を抱えているように 思われるのです。神経症、鬱病、パニック障害、躁病、スキゾタイプ人格障害、もろもろの依存症などの傾向を自分の内面に認められるということでしょうか。これだけの病気があれば、かなり重い心の病気ではないか・・というイメージがありますが、今はきわめて安定した気分です。それはおそらくそれぞれの要素が均衡を保っており、相互に補完しあっているからではないか・・・というのがわたしの直感です。ちょうど役者がさまざまなペルソナを演じていても、舞台を降りると自分に戻れるように病理をひとつの「役回り」としてパートを受け持つような感じでしょうか。実は、上にあげた病理は過去体験して緩解にいたったと思われる既往症なのですが、最後に心筋梗塞による死の体験がこれらをひとつの自我の位相に中和・溶解させて現在に至っていると感じています。体の病気でも同様でしょうけど、病理の体験を経過して再び健康または平常に戻るとある種の「学習体験」がともなうのではないかと 思われるのです。したがって、わたしから見ると心の病理とは自分の中の均衡をとっていた病理形式が 一極に傾いて、症状を顕在化させてふたたび平常に戻ろうとする作用を伴っているのではないかと思えるのです。ちょうど振り子のようなものです。
今は大変、楽な気分で生きておりますが、これからどうなるかはわかりません。
今言えるのはとりあえずの安定を保っていられるのはこうした「学習体験」を経て、少し自信がついたというところでしょうか。いくつかの病理を経験して「心の姿勢」のとりかたを学べたのかもしれませんね。
いずれにせよ、現代は心の病理ということが日常化している時代と思いますす。鬱病やパニック障害は珍しくないですし、病理までいたらなくても予備状態に入っている人はかなりの数にのぼると思われます。自分や家族に病気としてはっきりとした兆候があれば、やはり専門医やカウンセラーに相談するのが一番適切な処置をして、悪化させない治療ができると思いますので、気軽に心療内科などを訪れることをお勧めします。心の分野でも予防医療を心がけたほうがいいということでしょう。
わたしがこころがけているメンタル・ステータス・ケアの心得は次のとおりです。
1.「落ち着き」と「落ち込み」は、状態は似ている。落ち着きは前進的、落ち込みは後退的というところが違う。したがって、落ち込んでいる時は落ち着きという側面を持っている。
2.焦りからくる動機は、不安が背後にある。不安は一度、確認すると軽減する。明確化されたものは少なくとも得体の知れない不安という増幅をまぬがれる。不安は明確にされ、意識の光を当てられると縮小するようだ。
3.比較思考は、ほぼ確実に否定的感情と結びついている。他人が気になるときは要注意。自分の内にとどまり、静かに過ごそう。今、ここ、わたしでいられないことが問題を複雑にする。人は過去の奴隷であるよりも未来の主人であることを意識していたほうがよい。比較してみるということは過去のこだわり、自分をしばることがある。
4.自然体を意識する。自然体を失うと「硬直」が現れる。硬直すると自分をしばるか、閉じ込める。自然体であることを心の中和点とする。
5.自分をゆるめることに躊躇しない。ゆるめば、ありのままの自分でいられる。
6.ストレスは必要以上に我慢しない。人に当たったら、素直に謝る。
7.どんな場合にも自己犠牲は必要ない。必要なのは自己承認である。自己否定は自己犠牲を強いる。そして、やがて他人に犠牲を求めるようになる。
とまあ、今のところこんな心得で過ごしています。人間の心には不思議な親和力があると思うのです。この親和力を通して、内的バランスをとることが、メンタル・ヘルスの知恵のような気がします。
独断と偏見にもとづくメンタル・ヘルスのためのワン・ポイント・メモでした。