
2014年8月12日
はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ堂でございます。
 明日からお盆の入りですね。
 夏安居も終盤なので、「自分まとめ」をしていました。
 そして、珈琲を飲みながらエコロジストのぽらんさんと語らいました。
 シニア・ライフと自由時間を巡ってです。 
ぽらんさんは「終末期から換算して今を生きる方が無駄がなくていいような気がする。」 とのこと。
漠然と年老いてゆくよりもとりあえず死を必然として生きる方がいいらしいのです。
 特に鬱ということもなく「頭の中のマッピングを楽しめたらよい」と言っていました。
 確かに。 やまねこは、時間の質を変えてゆくことにしました。
これからは、私の時間を私が 生きるのだと心に決めたのです。 
現代は、抽象的な空間と時間があふれています。 
『里山資本主義』でも著者の藻谷さんが繰り返し述べていますが、自分の生活がどこか遠くに 根拠があるというのはおかしい。アラブの国のどこかで起きることが石油価格に跳ね返り、 われわれの生活を直撃するというのは、果たして当然のことなのだろうか?というのです。
 現代の都市生活はどこともわからない場所からのつながりや利益や人や情報から生活基盤が 作り出されている。お金と言えども、どこをどう通ってきたかわからない。 超高速でやり取りされる金融と情報と流通。人もモノも情報もお金も一度抽象空間にデータ化 されるということ。
過度のマネー・ゲーム化とモノ・金・ヒトのデータ化から電子マネーが行き来する世界。 
これは、畑で野菜を作ったり、海で魚をとったり、薪を割ったり、うどん粉をこねたりする生活とは大きく異なります。
都市環境が悪いというのではないく、そんな暮らしのありようを もう一度考えなおす必要はないかということ。
 人間は具体的かつ感覚体験的なもののなかでこそ「自分を確認できる」ということ、そして 「何をどうしたいのか」「何をめざしているのか」を実感しながら、暮らす方法もあるということ。
 それは抽象的な時間を「私の時間」に戻す作業なのかもしれません。 
「残された時間をどう生かすか」というぽらんさんのテーマはそのまま、具体的な素材と ツールと方法を試みる自由時間ということになります。
 夏安居のまとめはお四国遍路を経て 「自分にかえる」ということかなと思いました。
 人間環境よりも生活環境。 そして生活環境は精神環境のもとに置くこと。 言葉は真実を語ればそれでよい。 心は現象を観ずれば、それでよい。 行為は正しく調和すればそれでよし。 カルマへの信頼感を培うのは今だ。