セルフ・モード

2013年10月22日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ万年堂でございます。
「自分中心」について考えていました。セルフ・ケアともかかわるテーマです。
あの人は自己中心的だ、などと批判的に使われる言葉ですね。 しかし、その一方で他人や周囲の環境に振り回されてストレスで参ってしまうことも多い。
やまねこは最近、自分中心でいいよと思っているのです。一定の礼儀や配慮さえしておけば 済むことで、他にふりまわされる事が果たして好ましいあり方とも思えません。
セルフ・モードを大切にまず自分と向かい合うこと。セルフ・モードを守ればストレスを 人に与えることもなくてすみます。
セルフ・センターから生きることは、むしろ周囲のためにもプラスとも言えます。

「今の時代の人びとの中で、自分は良心的な市民であり、物だけで生活しているのではなく、文化も教養も大事だ、と考えている人は、心の奥底では権力主義者なのです。そして権力主義者であれば、必ず同時に唯物主義者なのです。(中略)そういう唯物主義者は必ず、社会の中には立派なヒエラルキアがあって、その中に組みこまれれば自分の身は安全だと思い、そのヒエラルキアに組みこまれたいと思っています。」(高橋巌「現代の神秘学」)

空しきパワー・ゲームから外れて自分中心にセルフ・モードで自分を再構築する試み・・・とも 言えるでしょうか。
「おじさんねー、自分探しやめたんよ。だって、自分の背中はどこまで言っても見えんもん。  それより、店でキンチョール探した方がええ、思うな。」 というCMもありました。
孤独ではあってもブレることのない指針を見出すこと。
現代は第八領界の時代と言われます。ドレミファと進んでいったときにふたたびドに戻る という意味です。村上春樹さんがよくモチーフにしていますね。

「「どうすれば第八領界に入ってしまうかはさまざまです。たとえばこの世に生まれ、ふさわしい環境の中で、サラリーマンとして、医者として、商人として、農民として、職人として、あるいは仕事をしないで暮している限りは、どんな人も正常な外展と内展のプロセスをたどっています。
ところが、(中略)自分の運命にそむき、場違いな生活をするようになりますと、その人の努力のすべては、出発点がずれているので、努力すればするほど、狂いが大きくなり、ますます自分の本来の生活から離れてしまうのです。
この問題は、いろいろな場合について考えられます。納得のいかない出発点から人生を歩み始めた人が努力すればするほど、その努力の結果をみのらせることができなくなります。早くそこから離れて、新しい出発をすることができればいいのですが、それまでの努力によって得た経験内容は、その人にとっては捨てることのできない、かけがえのないものになっていますから、ますますそれにこだわり続けます。
そしてこだわればこだわるほど、実体のない影みたいなものと自分との関係が、その人にとってリアルなものに思えて、知らず知らずのうちに、第八領界に陥るのです。」

取るに足らない小さなこだわりを捨てて、一歩離れて自分を見つめる。
「納得のいかない出発点から人生を歩み始めた人が努力すればするほど、その努力の結果をみのらせることができなくなります。」 それはとりもなおさず社会を覆う閉塞感と重なっているものかもしれません。
一歩進むためには二歩さがる。自分に留まる。
自分勝手と言われないために窮屈な生き方をするよりも自分中心に生きたいと願っています。

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