2013年10月6日
はい、どっと・もーにんぐ(=^o^=)やまねこリアリストでおます。
最近、リアリストなんですよ。村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男と僕 についてゆっくり考えていました。
羊男はわたしたちの内なる声とも言える役割を果たし ているような気がします。
高度資本主義の過剰なシステムによって、森に追いやられ、 生死の境で語りかける存在・・・沈黙の声のようなものとしての羊男は、「何かと何か を繋げる」ことが自分の仕事だと語ります。
「踊るんだよ。 音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何もしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんなたこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう。でも踊るしかないんだよ。」
踊るんだ・・・とは現実の中で燃焼する、といったことでしょうか。
イルカ・ホテルという失われた時空の小部屋にいる羊男、リアルな世界を支えている配電盤 「踏みとどまる」とは「私の世界を構築する」ということなのかなと思います。
固まっていく・・というのはおそらく抽象化し、記号化してゆく世界ということかもしれません。
「踊るしかないんだよ。」 わたしたちはそれほどに「内なるもの」から疎外され、つながりを見失い、硬直化し 抽象化してゆくことに晒されているのかもしれない。
「君はここで何をしているの。そして君は何なんだろう。」 「おいらは羊男だよ。」と彼はしゃがれた声で笑った。
「ご覧のとおりさ。羊の毛皮をかぶって、人には見えない世界で生きている。 追われて森に入った。ずっと昔のことだけどね。その前おいらが何だったかもう思い出せない。 ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね。いろんなものを繋げる んだよ。ここは結び目なんだ。あんたが求め、手に入れたものを、おいらが繋げるんだ。 分かるかい?」
失われたつながり、生死の境にあるイルカ・ホテル、羊男の配電盤の仕事?
配電盤を探してみようと思っています。どこかにある筈です。
業界用語では制御盤ともいいます。受電から配電、回路を制御する盤だからです。 この中には、各配線の配分と電気回路を変換するインバータ(整流器)やシーケンサーや スイッチ回路が組み込まれています。巨大なファクトリーもいくつかの制御盤で統括され ています。やまねこが以前していた工場の保守管理の仕事の配電盤のことを想い出しながらながら 「内なるもの」について思いめぐらしていました。