2012年10月17日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ山です。 秋雨そぼ降る一日でしたね。
夢の里Y社長、みゆきさん、㈲松六H社長と語らっていました。
『すこやか・あんしん砥部の会』をめぐって、ゆるゆると考えていたのです。 すこやかで安心な暮らしを実現することは、誰にとっても大切なことです。
しかし、昨今はそんな暮らしを脅かす社会不安の時代とも言えるかもしれません。 わたしたちが抱える不安に少しずつでも答えてゆけるような町づくり、スモール・ライフ を守るのもいいかなと思っています。
昭和の時代はある意味でそんなスモール・ライフが手元にあった時代です。 暖かな裸電球の下で家族みんなが肩を寄せ合って暮らしていました。そんな貧しい時代から あらゆる便利と情報が錯綜する時代への変遷が平成ということでしょうか。
かといって、わたしたちはすでに過去に戻ることはできません。 “個人が生きる”というテーマを抱えてしまった以上、古き良き時代は通り過ぎてきた残像と いうことかな。 さてさて、いつものように夢の里のテーマをみゆきさんに語りかけます。
『わらしべとミカンを交換した貧乏なお百姓さんが、最後には長者の屋敷をもらう話 は、実は夢の里の異空間を表してるんだよ。市街地で右のものはここでは左に、上のものは 下に、表のものは裏になるんだ。だから、ここではお金は木の葉っぱなの。わかるかな?」 確かにわらしべ長者のようなお話です。
「金のガチョウのお話は、夢の里の精神原理を表してるんだ。ハンスが森の小人にお弁当 を分けてあげたお礼に金のガチョウをもらう話はね、実は夢の里の空間が時代の嵐から 守られてきたことを表してるんだよ。
ここでは、手に触れるものがすべて黄金に変化してしまうんだ。 それは、嘘が通用しないという厳しさでもある。 精神原理とは金のガチョウでシンボライズされてるの。 そのガチョウを求める人は、お金に目がくらむととたんにたちまち、札束が木の葉っぱに 変化してしまうんだ。だから、ここに住むためには毎朝、般若心経をとなえなきゃいけないの。」
こんな奇妙な会話をしながら、ふと「夢の里とべ」という異次元世界に住んですでに三年が 過ぎることに思い当りました。 やまねこにとってはこの三年間はまるで数カ月のような感覚なのです。 夢の里での三年間は夢のように過ぎ去りました。確かに時空間がここでは異なっているのです。
「黄金のガチョウ」 グリム童話より
『3人の兄弟がいました。ある日、一番上のお兄さんが森へ木を切りにいくと、小人があらわれてたべものをねだりました。一番上のお兄さんも、つづいて出かけた2番目のお兄さんもことわりました。一番下の弟だけは、べんとうをわけてやりました。すると小人は、おれいに金のがちょうをくれました。 村の娘(むすめ)たちは、金のがちょうをほしくて手に入れようとしましたが、がちょうにふれたとたん手がはなれなくなりました。弟が町へむかって歩き出すと、出会った人はみんな手がはなれなくなり、後ろにじゅずつなぎになりました。 町のお城(しろ)には、それまで一度もわらったことがないおひめさまがいました。おひめさまは、このきみょうなぎょうれつを見て、おもわずふき出しました。すっかり感心(かんしん)した王様(おうさま)は、おひめさまと弟をけっこんさせたのでした。』 森の小人を助けたハンスは、黄金のガチョウをもらいますが、そのガチョウを抱いているハンスに 触れたものはみんな手が離れなくなるのです。絵本によっては、ハンスに触れたものはみんな黄金 になってしまう、というものもあったような気がします。そして、一度も笑ったことのないお姫様 をゲラゲラ笑わせて、めでたく結婚できるという不思議なお話です。
一度も笑ったことのない『内なる人間』を、黄金のガチョウを持った正直者の若者が笑わせる・・ これは、『魂の謎』を語るよく知られたメルヘンですね。 童話においては、お姫様とは常に高貴な人間精神の核心を暗示しています。あるいは、生死を越えた 永遠なる者を象徴しているのですが、では『黄金のガチョウ』とは何を意味しているのでしょうか。 また、触れるすべての人を黄金に変えてしまうとは?
魂の謎と世界の謎の間にある金のガチョウ・・・それは、自然界の精霊が授けてくれた知恵の形 なのでしょうか。そして、その『地球的叡智の形態』は、それに触れるものを最高の形式に変えて しまうというのです。
未来型のビジネスは、自然界が与えてくれる叡智と共存できるものだということなのでしょう。 触れるものすべてを黄金に変える知恵とは何を意味しているのでしょうか。 金のガチョウを探す旅は、ゆるゆると続きます。