叡智を育てる

宇宙エコロジー
バックミンスターフラー著 「宇宙エコロジー」
Memories for tomorrow キースジャレット

2010年2月6日

はい、どっとこ・もーにんぐ(=^o^=)やまねこでおますよ。
夢の里とべのエコ・ヴィレッジプロジェクトは、この二年間取り組んできた「スローリビング 計画」を具象化する試みとも言えるでしょうか。バックミンスター・フラーの『宇宙エコロジー』 (梶川泰司訳)をじっくりと読みながら、「やまねこハウス」プランニングにかかっています。
やまねこの構想では、『夢の里とべ』にエコロジカルにデザインされたフラー・ドーム・ハウス を建てて、「市民農園 夢の里」を作ろうと考えているわけです。未来型のドーム・ハウスと オーガニックな農法を試みる市民農園、森林セラピー、介護医療施設、福祉施設、コーポラティブ ハウス(共同・共生住宅設備)、太陽光発電、ハーブ栽培、フリー・スクール、瞑想と仏教の学舎、 お接待の遍路宿などなど「作る・育てる・助け合う・成長する・楽しむ・学びあう」ためのエコ・ ヴィレッジ作りを構築したいと願っています。とはいえ、これは「内なる作業」とも言えるもので 実現には長い道のりなのかもしれません。
意識が光なのだとしたら、夢はプリズムです。そして、意識の光を夢のプリズムに透過させて、 全地球的なヴィジョンを描こうと思うのです。
かつて、フランシス・ベーコンという哲学者は「ノウブ・オルガノン」(新器官)という著作で 人間の経験的叡智は実験と検証と試行と計画で世界を変革できると宣言し近代科学の基礎が打立て られました。わたしたちは、その発展の最終段階にいるのかもしれません。近代科学のマニフェスト は、環境破壊と構造不況と社会病理によって崩壊しつつあります。
アリストテレスのオルガノン、 ベーコンのノウブ・オルガノンを克服する「ターシャム・オーガナム」(第三の器官)を模索する 時代に入っているのでしょう。
さてさて、今日はエミフル松前でお好み焼きを食べながら、雨宮さんと話していました。 話題は「死の問題」を巡ってです。余命告知を受けるか否か?ということで、雨宮さんは 「どの道死ぬんだから、余命告知なんて必要ないよ。」という考え方です。 やまねこは、重い心臓疾患を抱えていますので、死は明日かもしれないし、何時だかわからないと いうのが日々の現実です。 癌の余命告知の場合は、進行癌の場合統計的にほぼ自然にわかるようですが、やまねこ的には、 遣り残したことの予定が立つので余命告知して欲しいと考えます。 雨宮さんは「死に際くらい自分勝手にしてみたいので死期が分かったら面白くない。」と考える ようです。
いずれにせよ、すべての人は平等に死を前提に生きています。それを『実存』とサルトル は呼びます。おそらく、死とは生と言う現象の微分関数なのでしょう。生の曲線のそれぞれの地点に 死が微分化されて組み込まれているのです。 ゆえにわたしたちの人生の局面は、死を積分してゆく作業なのでしょう。 プラトンはそれを『死の演習』と呼びました。雨宮さんも寄る年波、身近な人たちの死に接する ことが多くなり、諸行無常を感じているのかもしれません。
やまねこ的には数度の臨死体験から、「生に執着しない生き方があってもよい。」と考えます。 命を軽んじることはあってはなりませんが、生を死の反転と考える自由もまた人間にはあると思う のです。

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