2008年2月19日
この10数年で「アダルト・チルドレン」という言葉は、多くの人に知られるようになりました。しかし、その意味合いは曖昧なままになっているのではないかな、という印象があります。
「子ども大人」「子どもっぽい大人」「未成熟・大人気ない人」といったイメージ・ワードとしてマスコミが多用したために治療用語アダルト・チルドレン(AC)は、一人歩きしているようです。
本来、アルコール依存症の治療から生まれたACは、実は診断名ではありません。依存症患者が家庭生活に起因する様々なトラウマから解放されてゆくプロセスの中で「自分を見つめる」ために自身をACと自己承認すれば治療効果が期待できるという自助グループのサポート・コンセプトとして生まれたものなのです。
著者の信田さんは原宿カウンセリング・センター所長で、フェミニスト・カウンセリングの第一人者と言ってもいい人です。わたしも2年前に講演会に参加し、大いに刺激を受けました。
さて、ACはもともとアルコール依存治療における用語でしたが、治療効果の範囲が他の依存症にも及んで多くの自助グループで用いられたため「機能不全家庭に育った子ども」という広い意味を含むようになりました。
機能不全家庭とは何か?というのが実は本書のテーマです。
「夫は、わたしがいないとだめになる。」
「あの子は、わたしが世話しないとだめな子になる。」
「彼は、わたしがいないとだめになる。」
どこの家庭でも恋人間でもよく聴く言葉です。ごくありふれた愛情表現の言葉のようにも思えます。
ところが著者は、これらの言葉の背景にある「愛情という言葉に名を借りた支配」そして「共依存」のメカニズムをわかりやすく解きほぐしてゆきます。
そして、この共依存の支配関係は、親子・夫婦・恋人など親密な関係においてこそ根をはり、多くのアディクションやDV、依存症を連鎖させてゆく不幸の鎖の輪であると語ります。おそるべきことにそれは、世代を超えてつながってゆく・・・これを家族連鎖というそうですが、「不幸が不幸を呼ぶ心の鎖」ということだそうです。
では、この機能不全の家族連鎖を断ち切るためにはどうすればいいか?
それは、是非本書を読んでみることをお薦めします。
わたしは最近、「機能不全家庭とは、多くの一般家庭である」と思うようになりました。
それは、戦後のマイ・ホーム観やニュー・ファミリーという言葉が意味したライフ・スタイルや家族イメージとほぼ重なり合う面が多いからです。それは、高度成長とともに始まり、バブル崩壊とともに解体されていった「家族観」のように思えるのです。
本書はウイメンズ・カウンセリング松山さんの推薦図書でもあります。