2010年1月26日
はい、どっとこ・こんばんは(=^o^=)
夢の里とべを訪れ、ドームの打ち合わせをしていました。 やまねこは、夢の里をロハス・ライフ・デザインの拠点にしようと考えているのです。
わたしたちは、衣食住を中心に生活を営んでいます。これはあまりに当然なことなのですが ビジネス・モード中心の生活からは一種の死角になっているというのが、事実なのです。 「食べたり、着たり、住んだりするために仕事する」というライフ・デザインは、ともすれば 「ビジネスのために食べて、着て、住む」というシンタックスで捉えられがちな現代生活です。 この本末転倒のような価値観の中で、もう一度「地上に生きる」というロハス・ライフの生活 実感を回復するというのが、夢の里の基本テーマなのかな、と思っているのです。 それは、地球環境を考えながら身近な実践を試みるというエコロジカルなライフ・スタイルの探求 ともいえますし、抽象化し、効率化した都市空間を再び「緑と共存する具体的空間」へと回復 させるムーブメントでもあるのでしょう。 このまま加速化した社会が続けば、いずれ深刻な環境危機と人間崩解へと向かうことは、誰もが 気づいている社会です。自然環境は汚染され、食の安全は脅かされ、経済は破綻し、精神を病む 病理社会が完全に実現しているのが、現代の日本であることは誰の目にも明らかなのですから、 合理主義でこれらの問題を乗り切れるはずはないのです。そもそも効率と機能主義という合理化 こそが今の社会の生みの親であることをすべての人が理解し始めているということなのです。 より便利に、より無駄なく、よりスピーディな社会とは人間を排除した社会であるということな のでしょう。これは、繰り返されてきた文明の失敗なのかもしれません。古代インド文明として 知られるモヘン・ジョダロは紀元前19世紀に忽然としてそのインダス文明を崩壊させます。 上・下水道、公衆浴場などを備えた高度な古代文明は忽然と地上からその姿を消すのです。 ある歴史家は 「すべてを整然と整えた古代人インド人は、片付けるものがもはや、自分たち以外に無い」こと に気づいたのかもしれない・・と語っています。 わたしたちの社会もまた人間なしでも成り立つ社会を実現しているのかもしれません。 ロハス・ライフ・デザインとは、永続可能な地球型生活のモデルを生み出すことなのだと理解 しています。 わたしたちが、自らを整理・解消する前に地球のことを考えながら暮らしたいと思うのです。
※モヘンジョ・ダロ
衰退の謎 [編集]
紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄したと考えられている。最大で4万人近くが暮らしていたと推測されている。しかしその後、きわめて短期間のうちに滅亡の時を迎えたと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。近年[いつ?]の研究では大規模な洪水によって一気に衰退したと考えられている。
都市の特徴 [編集]
計画都市 [編集]
遺跡は、東西南北に焼成煉瓦で敷き詰められた直線道路が伸びる。沐浴施設・二階建ての住宅・井戸など煉瓦造りの大規模な構造物が並び、しかもそれらは緻密に計画されて配置されている。幅9mの道が南北に走り、街は碁盤の目のように区画されていた。焼成煉瓦で造られた街は上下水道も整備されていた。生活排水を流す排水溝は街の至る所に張り巡らされていた。モヘンジョ=ダロは4,500年以上も前に作られた水を巧みに利用した高度な計画都市であった。人々はインダス川の水を利用し、農業も盛んに行っていた。(ウィキ・ペディアより)