直観と美のアンソロジー

宇宙エコロジー
著:バックミンスターフラー

2010.1.6

はい、どっとこ・こむばんは(=^o^=)
数学者バックミンスター・フラー博士の『宇宙エコロジー』を読んでいます。 『直観と美なくして、宇宙エコロジーは存在しない』とは、博士のテーゼです。 まず、システムの全体を感じ取ること・・という直観智は博士にとっては自明の理 であったようです。何故ならば、幼少期より極度の視力障害があった博士は、眼鏡を かけるようになって、初めて実像世界を認知するようになったので、いつでも眼鏡を はずせば色彩と輪郭の洪水しか見えなかったため、常に全体像と明確な像という両極の 間で思考を育むという稀有な成長過程を経てきたため、直観と美、あるいは全体知と合理 主義の緊張関係を保持できたということらしいのです。 さてさて、『宇宙エコロジー』の一節に注目すべき、主張を発見しました。 『わたし自身は、直観こそが私の中で最も重要な能力であると考えてきた。 しかし、現代ではこの能力はさほど重要とは考えられていない。1920年代には直観は 常に「禁句」であった。この無神論的態度は、西洋世界の知識人にも広がり彼らの多くにとって 1929年の株価暴落と30年代から始まった底知れぬ不況状態が、資本主義の死をあらわしていた。 こうした傾向の中で、1930年アインシュタインが『ニューヨーク・タイムズ』で発表した <宇宙的な宗教意識>は、まさに本質的な直観的反論であった。』    (『宇宙エコロジー』フラー博士)
注目すべき点は、空前の経済的・社会的不安とパニックの頂点の恐慌下のアメリカ社会から 次世代の「科学の直観智」が生まれたというところです。
1929年を2009年と読み替えても、充分納得の行く示唆に満ちた一節です。 当時のニューヨーク・ウォール街の摩天楼は世界一の自殺のメッカでした。 ちょうど今の日本のようにです。社会全体が、不安とパニックに打ちひしがれた局地でこそ 新しい時代が悲劇的な「産声」をあげるものなのかもしれませんね。 世界最大の自殺率を抱えた先進国であるこの国にこそ、「直観と美の倫理」が生まれるような 気がしています。 それは、滅び去ってゆく物質主義への供花として2010年がはじまったという厳然とした事実 なのかもしれません。こんな時代だからこそ「希望の明かり」はより明々と燃えるのでしょう。 いよいよ、厳しい正念場のはじまりです。やまねこでした。

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