2008年9月2日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)
風の又三郎のように秋がふいにやってきたような日でした。
エコ・ブログ仲間の雨宮さんと珈琲を飲みながら、昼下がりを過ごしました。谷崎潤一郎のトイレと風流の話から始めました。
電気を前提としない日本家屋の風流は、厠の美学に極まる・・という『陰影礼賛』の話です。
古来、日本では母屋から離れたところに厠を作り、季節の彩りや気配を楽しむ”ほのかな安らぎ空間”として確保してきたというお話ですが、わたしは『陰影礼賛』を読んでいるとこの人も”ゆる系風流人”だな、と思うのです。
さてさて、雨宮さんと「ひきこもり」についていろいろと話し合いました。わたしや雨宮氏はひきこもりの開祖のようなもので、現在の若者たちに深く共感しつつも「悩める引きこもり世代のガイド・ライン」として何が有効か?という問題意識を持っています。
鬱病、パニック障害、不安障害などなどアダルト・チルドレン症候群とハイデッカーやキルケゴールの「存在の不安」は何処でつながっているのか・・・ある友人をめぐって痛快な議論で盛り上がっていました。
その友人とは『落ち込みのプロ』というもので、どんな些細なテーマでも立派に落ち込んでみせるのですが、落ち込んだからといってまるでその成果はなく、再び同じパターンで何度でも失望できるという変な人なのです。なんだかギリシャ神話のシューシュポス(アトラス)みたいですね。(*^o^*)
アトラスは天球を背負って、オリンポスの山頂まで登ろうとしますが、山頂近くまでくると必ず足をすべらせたりして麓まで転がり落ちてしまいます。そして再び山頂をめざすのです。
地図の語源ともなったアトラスは神々の中で、人間の愚かしさを演じるとともに不屈の闘志を称揚するシンボルでもあります。
失望と絶望を限りなく、分析・恣意しつつ美的実存に生きたキルケゴールもまた「落ち込みのプロ」だったのかもしれませんね。
反復と失望・・・そして不屈の闘志。
ひきこもりは、内なるものの克服という課題に向けて、生と死を学ぶプロセスなのかもしれません。
やまねこ(=^o^=)でした。