2011年8月20日
はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこでおます。
少し、涼しい風が吹き始めた夢の里は、夏の終わりを告げているかのようです。
今日は、ドーム・ハウスを検討しているゲストさんと話していました。
どんぐり館を見学したり、お客様の住まいに対する考え方などに耳を傾けていました。
夢の里というゆるやかな空間とドーム・ハウスと言う住まいに住んですでに一年。四季折々の風光にふれつつ、ドーム・ハウスという丸い住居が何をもたらしてくれるかを考えています。
発明者のバックミンスター・フラー博士はドーム・ハウスを「生活器」=livingryと呼びました。これは、現代アメリカが「兵器」=weaponryにもとずく社会であることに抗議するフラー博士独自の造語です。
わたしたちもまた、兵器よりも生活器を必要とする社会に住んでいます。
わかりやすく言えば、対立と競争と暴力よりも共生と相互扶助と安らぎの中で暮らしたいと願っているということです。
この春の大震災を通して、わたしたちはより切実にこのテーマを課題とするようになりつつあるのでしょう。
2011.3.11から、わたしたちは新しい時代に突入しているような気がします。
それは、危機の時代とも言えると同時に競争社会の終焉とも言えるかもしれません。
競争は、破たんを加速させるだけのことかもしれませんね。
危機の時代の生活器としてのドーム・ハウスは、東日本震災復興プロジェクトの中でも様々な建築家が提案しています。大震災と言う危機の中で生まれてきた生活器としてのドーム・ハウスのシンボリックな役割の例かもしれません。
写真かと思ったら絵なんですね。
他の惑星に建設した基地のようでステキです。
東日本震災復興プロジェクトには未来を見つめる夢がありましたね。
一瞬で失いましたが、再生する力があった。
今のコロナ禍は長期化しているので未来への明るい希望を見失いそうです。