2007年11月14日
「ツイてる、ツイてる、というと成功します。」と誰かが言う。
「ありがとう、を一日100回言うと成功します。」とまた誰かが言う。
ほぼ、例外なく、「ツイてる。」「成功します。」の意味は、お金を人並み以上にgetできるということなのでしょう。それほどにお金はすべての幸せを運んできてくれると多くの人が思っているようです。勿論、衣食住をより豊かにするためにはお金が必要ですし、最低限の生活をするためにもお金が必要です。世の中の多くの人がお金を得るために汗水流して、労働や経営にいそしんでいます。これは、お金が必要を満たし、責任を全うし、よりよい生活環境をそして、健康や精神環境、人間関係を得る手段としてお金がその良き条件を整えてくれるからです。これは、常識に属することでしょう。だから、水準以上のお金を得ることができればその人は「成功した」とみなされるのです。功なり、名遂げて、富を得てこそ万人が認める成功・・というわけです。経済至上の考え方は、お金というものがモノやサービスや利便性や時には人間関係や精神生活をも改善してくれる面があるからなのでしょう。
昔々、昭和39年頃「襤褸は着てても心は錦」と歌われましたが、今ならさしずめ「襤褸を着てたらただの襤褸、心の錦はあなたの勝手」というところでしょうか?それほどまでに成功とは経済なのだという観念が、この社会を支配しているようです・・・そしてそのお金をめぐって激しい競争が生まれています。だからこそ、成功とは競争に勝ち抜くことといわれているのでしょう。よりよい学校、よりよい会社、よりよい給料を求めて人は努力します。功利主義はそんな考え方から生まれました。
「最大多数の最大幸福」とベンサムが言うように最大多数が認める価値を実現すれば最も幸福ということ になるという思考です。
しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。最近流行のセレブという言葉はほぼ、お金持を指しているようですが、これは競争に勝った者とも受け取られています。
言うまでもなく競争に勝てる人というのはごく一部のひとにぎりの人間です。宝くじを買うように成功者とは当たりくじを引いたものなのであり、多くの人は少数の勝ち組を作るための捨て駒に過ぎません。
「最大多数の最大幸福」というよりは「最小少数の最大幸福」といったほう現実に近いのではないでしょうか。格差社会の構造はこういう価値の一元化と無関係ではないような気がします。
国民の豊かさがGDPで計られ、生活の豊かさが可処分所得で計られ、高学歴・高所得と職業の安定性が幸福指標のように思われてきたようですが、本来成功とは、経済的なものではありません。
経済は、生活を守り、改善し社会に貢献するひとつの手段であって、目的ではないというのは一応知られた「事実」です。
それが「一応」、なのは手段が目的化してしまうことが現代はあまりに多いからです。手段であったものの周りを多くの人の内面が取り巻いて目的化し、それが競争となり、加速化し、激化した時にかつて「幸福」であったものは「不幸」の入り口になってゆくのではないかと思っています。
経済至上の思考は、すべてを相対化して「ツイてる」成功を狂おしく求めて、現在を未来の犠牲に してゆきます。そんな種類の成功を求める競争の激流から離れたところにこそ、ささやかな「成功」があると思っているのですが、いかがでしょうか。成功はもっと高い次元にあるような気がします。
成功とは?
よく笑い、たくさん愛すること
聡明な人々の尊敬と子どもたちの親愛を得ること
正直な批評家に褒められ、偽りの友人の裏切りに耐えること
美を賞賛すること
他人の中の最高のものを見つけること
見返りのことなど一切考えずに自分を献身的に捧げること
健康な子ども、救われた魂、美しい庭、改善された社会状況を通して
世界をほんの少しよくすること
熱心に遊んで笑い、思い切り歌うこと
あなたが生きているおかげで
たったひとりでも、慰められた人がいると知っていること
これが、成功するということだ
ラルフ・エマーソン
友人のボブは田舎で育ったが、猛烈に働いてやっと都会で暮らせるようになった。
そして、都会で猛烈に努力して、やっと田舎で暮らせるようになった。