見る眼を養う2

2014年8月19日

はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
ひきつづき「見る眼を養う」ことについて考えています。
インチキな何事にもだまされないためにはまず、「自分の眼を信じる」ということです。 養老さんも言うように『「本当の自分」を探すよりも、「本物の自信」を育てたほうがいい。』 ということになります。
心の隙間に入り込んでくる様々な情報は、現代はあまり質のいいものではないような気がする のです。本物の自信を育てるのに「世間の眼」は無用です。
何かしら「カルマへの信頼感」に欠けた日常感覚は「何かに追われるような漠然とした不安」 が伴う。
外出した後「ガスの元栓、鍵のかけ忘れ」が気になるような不安は、都市生活のシステム 抽象性から来るような気がします。すべてがシステム・アップされているため、ここと別な場所、昨日と今日の判別が難しいのです。
ひとつしかない交差点のある町ではなく無数の交差点、同じ間取りの部屋、一定のスピードで流れる 交通網、均質な情報空間、利便性のシステムなどが招く加速化などが個人のリアルよりも 統一されたシステムを優先する生活。
個人の判断よりもシステム判断のほうが正確と判断すれば、カルマへの不信感のほうが強くなり がちです。
「もう一度、認証番号を入力してください」と言われたら「自分が間違った」 と思い込まされるのです。
そんな環境の中で「見る眼を養う」ためには「自分のリアルを確かめること」と 「自分の眼を信じる」ということが大切になってきます。
前者は自分の暮らしを自分で作るという作業、後者は自分の感性を磨くという作業がともないます。
わたしたちがインチキな事柄にかかずらうのは、自分のリアルを離れて意識が散漫になっている からかもしれません。「見る眼を養う」という作業が、情報マニアになることから守ってくれる のです。

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