2008年5月16日
このところテレビでおなじみの脳科学者の茂木健一郎さんの本を読んでいます。クオリアについて先端的な理論をわかりやすく伝えてくれる学者さんです。aha体験やワン・ツー・スリーやプロフェッショナルでよくご存知でしょう。
昨年彼の講演会に行きました。青山二郎の美術展のプレ・イベントだったのですが後半は対談で相手はなんと白州次郎氏・小林秀雄氏の孫に当たる白州信也さんです。
「脳にとって美とは何か?」という興味深いテーマでした。脳科学者と美学者が語り合うには絶好の話題ですね。そのおりの美をめぐる二人の天才の先鋭的な視点を思い出していました。「心脳問題」という現代科学の究極のテーマに関わる茂木さんは、ことあるごとに小林秀雄を取り上げます。現在のクオリア理論に先立つ先駆者的な観点を持っていたと指摘するのです。
脳と心の関係に現代科学は、いまだ解答を見出していないと彼はいいます。それは、物質現象としての脳をいかに解明してもわれわれの主観を記述できないからです。しかし、脳と無関係にわたしたちの心があるのでもない・・・このアポリア(袋小路)に一定の突破口をひらくものとしてクオリア理論が注目されているということなのでしょう。
「何か赤いものという感じ」「何か冷たい感じ」など感覚体験に含まれる「質感」という知覚をクオリアと呼びますが、わたしたちの体験を記述しうるキー・ワードのように思えます。
(神秘学者のルドルフ・シュタイナーは脳と心の関係を「鏡と鏡像」の関係に喩えました。鏡なしには、鏡像は映らないからです。)
わたしたちの感覚体験の中でももっとも繊細で、個的で、切実なものとして「美」があります。とりわけ、女性が深く関心を持ちますね。(=^o^=)
「なにか美しいもの」という美のクオリアが、わたしたちの心・脳の中でフィラメントのようにいつもひらめいているように思われます。
茂木さんと白州さんが深く共感していたのは、「美なるものは、わたしたちの感覚体験の向こう側に立ち顕れて、瞬間とともに永遠を照らし出す」ということでした。
過ぎてゆく時間の流れの中で一瞬煌くものとしての美は、わたしたちの心と脳を魅惑しながら「なにか美しいもの」への切実な願望をかきたてて彼方の世界を照らすのでしょうか?