ヨハネ祭 画家ダニエル・モロー氏とともに祝う

『ライフ・ツリー』 ダニエル・モロー 蜜ろうクレヨン ドローイング

2011年7月4日

はい、どっと・こむにちは(=^o^=)やまねこですよ~。
昨日は高知県まで四国アントロポゾフィー・クライスの「ヨハネ祭」という ワークショップに参加してきました。
早朝から一路、高知へ。朝10時~夕方5時まで、ダニエル・モローさんクライスの参加者 の方々と蜜ろうクレヨンでドローイング。
画家さんから絵を描くことを教えていただくと いう体験もわたしには、はじめてでなかなか新鮮です。
講師のモローさんは、色彩画家、ゲーテ研究家として知られますが、アート・セラピスト としての活動もされています。いくつかのシュタイナー学校で美術教師を経て、2005年 から日本に住まわれて活動を続けています。
最初、画用紙と蜜ろうクレヨンを渡され、しばらくレクチュアがありました。
わたしたちは、色彩と言う『魂の体験』を日々繰り返していること。 光は色彩となって何かを生み出す作用があること。そして、色彩がいつか形態となって ゆくこと。
たとえば大地に種がまかれ、植物がそだってゆくプロセスは、光が色彩となり 形となってゆく自然界の営みであることなどを語られました。
そして、クレヨンをとり 描き方を先生とともに体験。わたしたちは、多くは輪郭を描き、色彩は後で描こうとしますが モローさんの描き方は、まず色彩を魂で体験することにウェイトがおかれます。 絵の技法を学ぶことよりもひとりひとりの内的体験を味わいながら、色が成長してゆくイメージ。
青い地球の大地で鉱物の結晶が育ち、水のイメージをもった大気が立ちのぼる。 そして太陽から光が降り注ぎ、大地と大気の間に自然界の精霊が漂う。 それを見守る霊的な存在の「顔」のようなものが現れてくる。 地上には人間の過ちによって形態化した茶色の生き物が・・・・。 クレヨンで描きながら瞑想をしている感じでしょうか。
そして、後半モローさんは、人間の大きな過ちの結果現れた「放射能」について語りました。 それは、広島・長崎に原爆が落とされた時よりもさらに広範に影響の及ぶ原発事故が今まさに 私たちの目前で進んでいるのです。
彼自身も震災を体験し、日々原発事故の影響のもとに日本で生活しているわけですから 海外から来た外国人として語っているわけではありません。 しかし、その視線はわたしたちよりも透徹していて冷静なように感じました。
ルドルフ・シュタイナーは1922年、放射能の脅威に対するために人間が何をしなければなら ないのかを次のように語っています。
『私たち人間が正しい形で精神的なものを受け入れ生活するとき、私たちをとりまく全ての地上の 光が命で満たされ、それを死の光(放射能)の中に注ぎ込めば、地上の光はその中で活発に作用して いく』
このシュタイナーの言葉はアントロポゾフィーを助けとして得られた人間存在や世界存在の認識を もとに、なるべく多くの精神的な活動を生活の場で実践することを通して、生命を破壊する死の光 である放射能に対抗してゆくことが可能では?との示唆を感じさせてくれます。
シュタイナーの生きた時代は、ラジウムなどの放射性物質が発見され研究が進み始めた頃ですが 彼はすでにこれらが「死の光」であることを洞察していたのです。 そして彼は「地上の生命的な光」によって死の光は克服されうると暗示しているのです。
ワークショップを受けながらふと「アレクセイと泉」という映画のことを思い出していました。 『アレクセイと泉』監督:本橋成一 「舞台となる〈泉〉は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発の爆発事故で被災した、 ベラルーシ共和国東南部にある小さな村ブジシチェにある。 この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、 不思議なことに、この〈泉〉からは検出されない。 「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答える。 この百年、人間は何の豊かさを求めてきたのだろう。 《水の惑星=地球》の強い意志のようにこんこんと湧く〈泉〉は、私たちに”本当の豊かさとは何か” を静謐に語りかける。」
この映画のようにわたしたちもまた、地上を生命的な光で満たすことをひとりひとりにゆだねられて いるのかもしれないと思います。 貴重な機会をいただいたダニエル・モローさんと四国アントロポゾフィー・クライスのスタッフの 方々に感謝です。

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