2014年11月15日
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
摂食生活にも慣れて、胃の痛みが少し和らいでいます。胃痙攣を起こすまで、不摂生が 進んでいたとも言えるかなと反省の日々です。
健康と食事についてルドルフ・シュタイナーは次のように語ります。
「19世紀の偉大な哲学者フォイエルバッハは、「人間は、食べるところのものである」という、有名な言葉を残しました。この言葉は霊的理想主義者たちを驚愕させました。
唯物論は、人間とは食べものの集積であり、身体だけでなく、精神も食べ物という物質から発生すると考えている、と多くの人々は思いました。
精神科学は、「人間は、食べるところのものである」という言葉を、唯物論者とはべつの意味で用います。精神科学にとっては、わたしたちの周囲にあるものは、すべて霊的なものの現れです。 物質の背後には、霊的なものが存在します。食べものの背後にも、霊的なものが存在します。わたしたちは、目の前にある食べものだけを食べるのではありません。わたしたちは食べものの背後に存在する霊的なものも、いっしょに食べるのです。わたしたちは食べものをとおして、その背後に存在する霊的なものと関係するのです。も、いっしょに食べるのです。「人間は、食べるところのものである」という言葉は正しいのですが、その間、物質的なプロセスだけでなく、霊的なプロセスも存在していることを理解しなければなりません。
(出所:『健康と食事』(シュタイナー、西川隆範訳、イザラ書房)
このような視点で食生活をするとどうなるか?
ふと夏にお会いした司祭のミヒャエル・デーブスさんがベジタリアンであったことを思い出 しました。 サラダ・プレートをおいしそうに食べていた様子、食後なぜかアイスクリームを好む。 神学者さんでもあるので頭はいつも活発に考え事をしている。そのせいか、甘いもの好き。 彼らはマクロビオティックの人ではないので正食という考え方はしませんが、一定のポリシーがある。
今、学んでいる『農業講座』でも、食に関わる部分が随所に出できます。 私たちの食事と健康と精神生活は密接に結びついている。 摂食モードになると確かに胃と腸と意識がクリーニングされている感じです。 体の底にある「自然の力」のようなものをもう一度自覚しなおすにもいいのかもしれません。
もうひとつ『日月神示』を読んでいるとおなかがでんぐり返るというジンクスがあるらしい。 このところ『日月神示』関連の本をよく読むのです。 確かにおなかがでんぐり帰り、胃けいれんとなり、お粥くらいしか食べられなくなりました。 これも正しき食事への指南かもしれませんね。
食事と健康と精神生活と言うテーマで年末を過ごそうかなと思っています。