2013年6月5日
はい、どっと・チューニング(=^o^=)やまねこ堂でございます。
思えば、ライフ・デザイン研究所完成後満三年となりました。 夢の里を発見しドームハウスを作るというライフ・ワークにかかり、竣工してもう三年 になるのです。
あのころはまだ、東日本大震災も起きておらず、原発事故も起きていませんでした。 2011.3.11の前と後とでは時代が大きく変わったことを痛感しますね。 福島原発事故はまだけっして収束しておらず、汚染水は増え続けています。
「ルドルフ・シュタイナーは1922年、放射能の脅威に対するために人間が何をしなければなら ないのかを次のように語っています。
『私たち人間が正しい形で精神的なものを受け入れ生活するとき、私たちをとりまく全ての地上の 光が命で満たされ、それを死の光(放射能)の中に注ぎ込めば地上の光はその中で活発に作用して いく』。
このシュタイナーの言葉はアントロポゾフィーを助けとして得られた人間存在や世界存在の認識を もとに、なるべく多くの精神的な活動を生活の場で実践することを通して生命を破壊する死の光である放射能に対抗してゆくことが可能では?との示唆を感じさせてくれます。」
シュタイナーの生きた時代は、ラジウムなどの放射性物質が発見され研究が進み始めた頃ですが 彼はすでにこれらが「死の光」であることを洞察していたのです。 そして彼は「地上の生命的な光」によって死の光は克服されうると暗示しているのです。
そして、シュタイナーは放射線は物質の感覚下の力・・と呼んでいます。 生命的な光とはエーテルを指しているのでしょう。それに対して放射能は死の光だというのです。 生命の核としての細胞を破壊し、DNAにも影響するこの死の光に対抗し、克服するには何が 必要なのでしょうか。わたしたちはこれからも長い時間をかけて、この問題と向かい合って ゆかなければなりません。それは、子供たちやこれから生まれてくる人たちへの重大な責務 でもあるのでしょう。もう、3.11以前に戻ることはできないのです。
今日は「アレクセイと泉」という映画のことを思い出していました。
『アレクセイと泉』監督:本橋成一
「舞台となる〈泉〉は、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発の爆発事故で被災した、 ベラルーシ共和国東南部にある小さな村ブジシチェにある。 この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、 不思議なことに、この〈泉〉からは検出されない。
「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答える。 この百年、人間は何の豊かさを求めてきたのだろう。 《水の惑星=地球》の強い意志のようにこんこんと湧く〈泉〉は、私たちに”本当の豊かさとは何か” を静謐に語りかける。」
この映画のようにわたしたちもまた、地上を生命的な光で満たすことをひとりひとりにゆだねられて いるのかもしれないと思います。