『ナマケモノは中南米の熱帯雨林に生息する、ほ乳動物です。地上約10メートルか ら30メートルの高みで木の枝にぶらさがってのんびりと一生の大半を過ごすこの 動物は、何世紀にもわたって「怠惰」「鈍感」「低能」と呼ばれ、さげすまれて きました。しかし、違うのです! 徹底した低エネ・ライフスタイル ナマケモノは普通の動物の約半分の量の筋肉で生活しています。筋肉が少ない分、動きはスローですが、逆に細い木にも登れ、それだけ敵から襲われる心配もありません。また、枝にかぎ爪をかけてぶるさがったまま食べたり眠ったりと、とにかくエネルギーを使いません。少ないエネルギーがいよいよ少なくなるとただじっと朝を待ちます。そして朝、木のてっぺんに登って日光浴をし「再充電」をするのです。 ナマケモノ流「共生」 これまでナマケモノは一種類の木しか食べないと言われてきましたが、実は90種近く食べることがわかっています。それぞれに自分の好きな木の間を渡り歩いて暮らすことで、仲間どうしの競争を避け、棲み分けを実現しているのです。またナマケモノは自分の食物に対する好みを子どもに伝え、母親は子どもが自立する時に自分の木の一部を譲り渡します。
ナマケモノ的生き方のススメ もし私たち人類が「より速く、大きく、強く」をモットーに、大量生産・大量消費経済、科学至上主義の道を走り続けたとしたら、私たちの未来はどうなると思いますか?木の上でののんびりとした低エネ、非暴力平和、共生、循環型ライフスタイルを持つ彼らに学び、私たちの生き方を考え直してはみませんか?』 こんな風に『ナマケモノのすすめ』を語り、スロー・ライフのエコ・プロジェクトを進める 辻信一さんは語りかけます。わたしたちは、より速く、より大量にをキーワードに進んできた のですが、この手法はすでに過去のものとなりつつあります。効率と合理性の追求が環境破壊 と社会のほころび、構造不況の元凶であること、システム型社会はすきまのない管理社会であ ることの恐ろしさを実感し始めているのです。システム社会とは、高度成長時代の遺物であり、 今だわたしたちの生活を加速化し、巻き込んでゆく「時間泥棒」の仕組みともいえるでしょう。 コンピュータに従う社会とは所詮、非人間的な管理空間とつかの間の安らぎの時間さえ奪い取 ってゆくのでしょう。 システム社会に傷ついたわたしたちの心を癒してくれるのは、何よりもスローな暮らしのあり方 であることは誰の目にも明らかなのです。そして、おそらくは経済至上主義とグローバリズム というモンスターを受け入れた結果こそが、現在の格差社会なのでしょう。 ナマケモノ倶楽部主宰の辻さんが呼びかけるのは、競争原理とシステム社会からの離脱とスロー でオーガニックな生き方が今こそ必要なのだという主張なのです。 人間が満たされて生きてゆくのに必要な条件は、経済的豊かさでもなく、競争に勝つことでも ないことは日本人が一番よく知っているはずなのです。 ゆるやかな空間が生きていた貧しくも豊かな昭和という時代と現在の高度管理社会を比較すれば わたしたちが失ったものが、あぶりだされてくるような気がします。やまねこ(=^0^=)どした。
『激しい雨が降る』 ボブ・ディラン
なにをしようというの、青い目のむすこ?
なにをしようというの、わたしのかわいい坊や?
雨が降り出すまえにもういちど出かけたい
ふかい黒い森のふかみまで歩きたい
そこには多くのひとびとがいて彼らの手はからっぽだ
そこで毒だんごが水にあふれている
そこでは谷間のわが家がしめっぽいきたない牢屋とむかいあわせだ
そこでは執行人の顔はいつもうまくかくされている
そこでは飢えが見苦しく、魂はわすれられている
そこでは黒が色で、ゼロが数だ
それでぼくはそのことを告げ、かんがえ、しゃべり、呼吸するだろう
山から反射させ、すべてのひとびとにみえるようにしたい
そして沈みはじめるまで海に立っていたい
だけどうたいはじめるまえに自分の歌をよくわかるようになるだろう
それで ひどい ひどい ひどい ひどい ひどい雨が降りそうなんだ” (片桐ユズル・訳)