2014年8月3日
はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
お四国遍路の旅の準備の為、車のオイル交換など足回りのチューン・アップです。
宿は、全国ネットの「ファミリーロッジ旅籠屋」にしました。車の旅にとても使いやすい 簡易ホテルです。
身軽な旅、精神的無重力・・ゼロ・グラビティ・・生命的時間の輪・・・ エーテル時間への参入・・・などなどオカルティストという生き方からの発想です。
シュタイナーの研究者で高野山派の僧侶でもあった西川隆範さんが昨年亡くなられました。 彼はシュタイナーの翻訳や講義の傍ら、仏教経典を現代にふさわしい形で平易な言葉に紹介する 事にも取り組んておられたようです。オカルティスト(密教者)としての自分の役割を現代人の カルマ論のプロセスに同定していたのかもしれないと思います。
「自分の人生の課題」・・・そんなことを誰しもシニアの年齢にさしかかると思うものかな。 やまねこも例外ではありません。
村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男をめぐって考えていました。
「僕は本当にここにふくまれているんだね。」 「もちろんだよ。あんたもここにふくまれている。おいらもここにふくまれている。 みんなここにふくまれている。そしてここはあんたの世界なんだ。」と羊男は言った。 そして、指を一本上にあげた。巨大な指が壁に浮かび上がった。 「君はここで何をしているの。そして君は何なんだろう。」 「おいらは羊男だよ。」と彼はしゃがれた声で笑った。 「ご覧のとおりさ。羊の毛皮をかぶって、人には見えない世界で生きている。 追われて森に入った。ずっと昔のことだけどね。その前おいらが何だったかもう思い出せない。 ここでのおいらの役目は繋げることだよ。ほら、配電盤みたいにね。いろんなものを繋げる んだよ。ここは結び目なんだ。あんたが求め、手に入れたものを、おいらが繋げるんだ。 分かるかい?」
森の高台の夢の里に都市生活から逃げ込んだやまねことしては、気になる一節です。
確かに何かと何かを繋げるためにやまねこはここにいるような気がします。 ちょうどイルカ・ホテルの失われた時間の一室にいる羊男のように何かと何かを繋げる ためにここ夢の里にいるような気がしています。
イルカ・ホテルとは?羊男とは?そして社会有機体とは何を表しているのでしょうか?
ふと友人のYさんのことを思い出しました。羊男みたいな人です。
「今ね、村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでるんだけど、Yさんは 羊男じゃないかと思ってるんだ。たぶん、村上さんは天才じゃないかと思う。 われわれが失いつつあるかけがえのないものを直観しているような気がする。」
10年前のYさんの言葉が浮かびました。
「好きな場所で、好きなことを少し無理をしてやりとげることだよ。」 やまねこはこの言葉にいたく感銘したのでした。
「やまねこ君のやるべきことはね、世の中にあることの意味を見出してあげることなんだ。 この世間には一日中うどん粉をこねている人もいる、穴を掘っている人もいる。 彼らがなぜそうしなければならないのか、その生きがい、そしてその意味を与えることなんだ。
だからこそ、三途の川を渡りかけた君に時間が与えられたんだよ。 そして自分の人生の中にこの社会の中に、刻印を残すことだよ。僕はすでに肉体の限界かなと思っている。新しい転生のために準備作業に入ろうと思う。 ブラバッキーの「シークレット・ドクトリン」のスタンザやシュタイナーの「神智学」が語るところはそういうことなんじゃないのかな。われわれが思うよりもずっと大きな謎が人生にはこめられているんだよ。こんな話やまねこ君以外に通じるわけないよね。」
羊男の仕事があるように山猫男も仕事もあるのかもしれません。
果てしなき日常という海から、思考作業を通して何かを引き揚げること。 おそらくは、少し無理をしてやり遂げる価値はあるでしょう。
オカルティストという生き方から導き出されてくる人生の課題?いや、むしろ 人生の課題を問うことこそが、オカルティストの生き方なんだと思います。
フォレスト・ガンプは公園のベンチに座ってつぶやきます。 「人生はチョコレートの箱のようなもの。 開けてみるまでは何が入っているかわからない」 『一期一会 フォレスト・ガンプ』