カルマ論と四国遍路

2014年7月16日

はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)先週明けに「心臓カテーテル検査入院」から 帰ってきて、平常生活モードに戻っています。
心臓領域にワイヤー・カテーテルを入れる という検査方法は、医学的には問題ないのかもしれませんが、「魂の器官」たる心臓にとっては カルマ的な影響があるとやまねこは思っています。深い部分からの諸々のカルマ的な情動が サイケデリックな現象を引き起こします。カラフルな夢を見たり、忘れていた様々な感情が 火山のように噴火したり、確かに「カルマ論的」な意識状態になるのです。 しばらくするとこれも落ち着いてゆきますので、いつものことと手放しで観測しています。
トランス・パーソナル心理学の吉福さんはこうした現象を「スピリチュアル・エマージェンス」 と呼んで、手放しで肯定も否定もせず、プロセスとして体験することを提案していました。
それはいわば、「人生のメロドラマを脱出する」ということなのだそうです。 人は自分の人生をどこか「メロドラマ」のようにみなす傾向がある。様々な過去のトラウマ 否定的体験、過ぎてきたプロセスをドラマ化してゆく・・・そして自分が主人公を演じたり 周囲の人を脇役や引き立て役にあてたりする・・・これを「メロドラマ」というらしい。 しかし、実際はただ自分が一定の体験や記憶やこだわりの世界観にハマって、抜け出せなくなって いるだけのことが多い。魂が一種の牢獄を自ら作り上げてしまうということなのです。
これを魂の新たな次元が開かれるスピリチュアル・エマージェンスとするか 「お涙ちょうだいドラマ」に仕立て上げるかは、成熟へのプロセスで大切なことだというのです。 様々な痛みや憤り、悲しみ、苦しみ、トラウマは幼少期の体験や根源的には出生時の バース・トラウマという「死の体験」までさかのぼります。 この世へ誕生はある意味で「死の体験」だというのです。胎児は産道を窒息状態で生まれてきます。 それは生まれ出る苦しみであり、死を通り超える体験として心の傷となります。
おそらく、そんなバース・トラウマとよく似た形で魂の器官としての心臓、そして心臓の危機として の心筋梗塞と言う臨死体験は、わたしにひとつのプロセスを教えてくれました。 それは、「人生は旅だ。」ということです。 まもなく夏安居も終盤・・・盂蘭盆会の時期には四国遍路の旅に出かけようと思っています。

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