2014年6月25日
はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
庭掃除と残材かたずけや薪作りをしながら、終日「里山資本主義」について考えていました。
夢の里暮らしもすでに五年目。暮らしをグリーンズな感性でとらえ返したいと思うのです。 近年、ディープ・エコロジーという言葉が囁かれています。従来のエコロジーよりもより 深い根拠を求めるということでしょうか?
「ディープ・エコロジー」という用語は初めて耳にする方も多いと思う。ディープ・エコロジーとは文字通り「深いエコロジー」を意味する。当然のことながら対立するのは「浅いエコロジー」ということになる。もともとはノルウェーの哲学者アルネ・ネスが1972年に著した論文「浅いエコロジー運動と、射程の長い深いエコロジー運動」に由来する。 ネスによれば、シャロウー(浅い)・エコロジーは環境汚染と資源枯渇を法的・制度的に対応しようとするもので、環境問題を起こす根本にまで至っていない。そこで、人間と自然の関係を根本的に変化させるエコロジー運動とエコロジー思想が必要になってくるというもの。それがディープ・エコロジーだとネスは述べている。」
「人間は自然の一部であり、全生命は平等であり、有機的民主制を志向する。そのためには新しい哲学・心理学が必要であるが、それは惑星意識の中に入ることによって、個々の意識がより大きな自我(宇宙・自然・ガイア・究極のリアリティなど)と一体化するものである。そうした意識になった時、人間は生態圏の搾取・開発をやめ、自分自身として生態圏を維持するようになる。原野は無傷で維持され、生活スタイルは自ずと地域生態に合わせたものとなり、人口も地域生態に合ったものとなる。科学も自然に添ったものとして過程を重んじるようになり、生物学的多様性と文化的多様性が目標とされ、ソフトテクノロジーと適正技術を通じて達成されるものとされる。つまり人間意識が地球と一体化してしまえば、自分自身を守るように地球を守るようになるという」 (以上 日経コンピューター記事 海上 知明)
そしてそれは弘法大師の生命観・宇宙観に通じる世界観だと結んでいます。
「六大無礙にして常に瑜伽なり」とは空海の「即身成仏義」の言葉です。
(地・水・火・風・空・識の六大は、互いに縦横無尽にあるいは融合し、あるいは反応し合って、宇宙の森羅万象を生み出し、また滅し去っている。)
また、「六塵ことごとく文字なり 法身はこれ実相なり」とは「声字実相義」に説かれます。 (色・声・香・味・触・法の六塵、すなわち私たちの感覚によって把握される認識の対象は悉く真理を語る文字であり、究極のホトケたる大日如来とは、この世界の、あるがままの姿に他ならない。 )
天地自然のことごとくは宇宙自然の深い縁起を表現しており、人間もまたその一部を為している。 ゆえに「人間意識が地球と一体化してしまえば、自分自身を守るように地球を守るようになる。」 というディープ・エコロジーの視線は密教の自然観・人間観と交わるということなのでしょう。
仏の姿を訪ね求めて野の道を歩き続ける遍路道もまた「魂のエコロジー」を求める旅なのかも しれません。
天地自然の曼荼羅と魂の道をたどる旅としての四国遍路。 お四国遍路をしながらディープ・エコロジストとしての空海の思想をとらえかえすのも一考です。
「ところがこれほどに優れた空海がエコロジストにはほとんど無名な存在である。日本の学者は海外の環境思想に詳しくないが、海外のエコロジストは日本のエコロジストを知らない。欧米のディープ・エコロジストがかろうじて語る日本人は道元ぐらいであるが、これは鈴木大拙が「正法眼蔵」を英訳したからにすぎない。他の日本の僧侶・思想家についてなど知るよしもないのである。」
(日経コンピュータより 海上 知明(うなかみ・ともあき) 1960年茨城県生まれ。84年中央大学経済学部卒。企業に勤務しながら大学院に入学して博士号(経済学)を取得。現在、国士舘大学経済学部非常勤講師。著書に「環境思想 歴史と体系」(NTT出版)、「環境戦略のすすめ エコシステムとしての日本」(同)など。)