2010年3月6日
某宗教団体の事件が何件か続いた頃からマインド・コントロールと言う言葉は、現代 用語の基礎知識のひとつに数えられるようになりました。
他人の意志のもとに何らかの心理的トリックに填ることをマインド・コントロールと呼び、 そこに身柄の拘束や金品を騙し取るという要素が介在すれば、明らかな「洗脳」と表現される ことも多いようです。
世の中に「騙した、騙された」ということは、ひしめきあう時代なのです が、昨年話題になった「ラスト・フレンズ」のモチーフである「ドメスティック・バ イオレンス」などもマインド・コントロールとよく似た点がありますね。
社会病理でもストックホルム症候群といわれたりします。人質にとられた被害者が犯 人に同情や愛情を感じてしまうという心理を指しているようです。
こういった問題には、他者との利害や特殊状況が伴いますから、わたしたちは「洗脳 」されまいとどこかで注意を喚起されます。
しかし、セルフ・コントロールについてはほぼ野放しにされていることに多くの人は 気づいていません。 セルフ・コントロールは自制心とも訳されますが、これは決して肯定的なものばかり でもないようです。
自制心が効いて、冷静な判断ができるセルフ・コントロールは必要なことですが、こ こで問題にしたいのは、自動的なセルフ・コントロール、つまり抑圧ということです。 言いたいことがあっても言えない、深慮遠望して自分の意見を控える、自分の言い分 はひかえるということが美徳とされる日本だけのこの種の抑圧は自然体を抑圧する悪 しき慣習と思っています。
何故ならば、自分を抑圧することは最終的には誰にもプラスはもたらさないからです。 言いたいことがあれば、できる限り表現すればいいのでしょう。 表現することで感情に形を与えて、エネルギーを解放して、自然な安定に戻してくれます。 抑圧すればやがて内圧が高まりストレスが爆発するか、爆発させられない人は病気か トラブルを起してゆがんだ解決に短絡します。
それは、中心をうしなったセルフ・コントロールとも言えるものです。 サイキック・ディフェンスのテーマでもくり返し取り上げたテーマなのですが、スト レスの連鎖と巻き込まれたり巻き込んだりするというまずい関係性をもたらすのは、 自動的なセルフ・コントロールに起因します。普通に言えば「ことなかれ主義・波風 の立たない関係」ということなのでしょう。
そこには、独特の人間不信と恐怖が温存され、心の病理を深めます。 マインド・コントロールを警戒する知恵があるのなら、わたしたちはまず、不自然な 自己抑圧と言うセルフ・コントロールから自由になることにも注意を向けたいもので すね。
喜怒哀楽があって、わたしたちは初めて自然体なのだと思います。 日常の多くの場合人に嫌われてもほとんど実害はありませんが、わたしたちが人に嫌 われまいとしてすることの多くは、礼儀を除いてはほぼ有害なことばかりなのです。
つまり、トラブルの多くは他人からもたらされるよりも自分から引き寄せることのほうが 圧倒的に多いという単純な事実に気づいている人は、まだまだ少ないようです。
自分が自分にかけるマインド・トリックとは、自分の感情に覆いをかけて、自分を表 現することに躊躇するということではないでしょうか?
もともとお人好しで礼儀正しいのがほとんどの日本人なのですから、少々の喜怒哀楽 に自己抑圧は無用です。 普段から傍若無人にふるまい周囲から顰蹙を買っている人ならともかく、お人好し と言われる人が怒りや悲しみを顕わにしても顰蹙を買うことはないでしょう。 たとえそれが弱さや欠点であったとしても、誰もが持ち合わせているものなのだと言 うことをあらかじめ認める寛容さが必要なのではないでしょうか?
自分をゆるめられたら、それは人にも影響します。 自分をしめつけたら、それは人にも影響します。 どちらがよりよい方向かは、はっきりしています。