2008年2月5日
セルフ・イメージが及ぼす影響について考えています。
わたしは、かなり細かく幼児体験が鮮明に記憶に残っているタイプなのですが、通っていた幼稚園 の園長先生の名前は「フクダ フクスケさん」という方でした。福福しい名前ですよね。(^o^)/ 自分の名前というものは、子どものころから一日に何度も呼ばれたり、話したり、書いたりするもの ですから、結構イメージ形成とつながっているような気がします。以前、悪魔君という名前を めぐり騒動がありましたが、もしも、ドロヌマ・ハマルなどという名前だったらどうなのかな(笑) 確かに名前は始終使うものですから、赤ちゃんの命名に両親が気を使うのもわかるような気がします。
とはいえ言いたいのは、問題は名前・・ということではありません。
わたしたちが自分に対してどんなセルフ・イメージを抱いているかということです。
人はある意味で、自分が抱いたイメージどおりの自分を演じてしまうものと思っています。 いつも元気でほがらかというセルフ・イメージを持っている人はそのように振舞いますし、 物静かで寡黙なイメージを持っている人も同じように振るまいます。いつも、気後れして間に 合わないというイメージの人も同様です。
人はよく「わたしってどうして、いつもこうなんだ。いやになるなあ。」などと思います。 確かに困った事態になったときは、そう思うのでしょうが、残念ながらそれがこれまで重ねて きたセルフ・イメージの選択の結果ではないでしょうか。
そのイメージが自分にとって好き嫌い、良い悪い、受け入れられる、受け入れられないという のはひとつの評価なのでしょうが、影響力はそれらの評価とは関係なく、形をとりやすい。 つまり、「こんな自分は嫌いなんだ。」と思っていても、そのイメージを繰り返し、自分の中で 強化している限りは、パターンにはまってしまうということでしょう。 思い通りでない自分、なかなかうまくいかない人生、好きになれない自分、他人から誤解される、 自分が抱いているイメージと現実とのギャップ、ずれ、離反などなどで人は悩みます。 しかし、いかに悩んでいるとしても、それは「評価」というレベルにあることは確かです。
古い歌ですが、ビースルズは「レット・イット・ビー」でこんなふうに語りかけました。
Let It Be (The Beatles) レット・イット・ビー (ザ・ビートルズ) When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom, “Let it be.”
私が悩んでいると マリア様が現れて 賢い言葉をおっしゃる
「そのままにしておきなさい」
これは、つまり、評価することからひとまず離れなさい、ということなのでしょう。 好きであろうが、嫌いであろうが、苦しかろうが、楽であろうがそのままの自分で ノープロブレム。セルフ・イメージというものは、決して評価されたりしなくとも わたしたちを肯定し、豊かに育ててくれるものという意味合いなのかもしれません。 ですから、フクダ フクスケはたぶん、「自分を肯定しなさい」という願いを込めてつけられた 名前なのかもしれません。そういう意味では、どんな人も自分を良き名前、セルフ・イメージ として培えばきっと「レット・イット・ビー」は、誰にも起こり得るのでしょう。
自分を肯定することを「セルフ・エスティーム」と言うようです。他人や社会から肯定されなくても もっとも身近な人・・・家族や仲間から受け入れられている人は幸福なのでしょう。 それもかなわないとしても、もっと身近な人・・・私自身が受け入れ、肯定してあげれば、 それもレット・イット・ビー。 かじかんだ心に熱を与えてくれるのは、他人ではなくわたしなのかもしれませんね。