伯方島夏まつり

2014年8月14日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ庵でございます。
お盆ですね。兄と共に今治市伯方島の夏祭りに行って参りました。
昨年から島暮らしをしている哲学仲間の友人のYさんが伯方島で住まいを持たれているので一泊 させていただました。
そして毎年恒例の「はたか夏祭り・花火大会」にご案内いたたいたのです。
海花火を間近に観て、兄も大喜びでした。 奥様の手料理などもご接待いただき、じつにリッチな「真夏の夜の夢」でありました。
伯方道の駅の会場に着くと超満員。島の輪の影響なのか、例年の何倍の人出だそうです。 沢山出店も並び、特設ステージでは美少女ユニットのコンサートも熱気に浮かれ興奮気味。 三々五々集まった会場いっぱいのなか、花火が始まりました。 仕掛け花火と巨大な大玉花火など盛大な光と音の夏らしいフェスとなりました。 花火の轟音が海を渡って海鳴りと入り混じるのも独特。光が海面に反射して余韻が趣深い。
帰宅後は、一年ぶりの再会となったYさんのお話に耳を傾けました。
Yさんは最近、島暮らしにも慣れて釣りや雑務の傍ら、絵を描いているそうです。
先般は大山積神社の薪能を見に行ったそうです。幽玄、型の美学などについて思うところが あったそうです。
そしていつものように延々と神秘学談義が深夜まで続きました。
Yさんが深く把握しているシュタイナーのヒエラルキア論について耳を傾けていました。
「月紀のデュナメイス(動きの霊)の働きのもとに、堕罪ということ、悪の可能性が生じたんだ。 でも、それは自由の前提でもあるんだ。悪の可能性が生じないと自由もまたあり得ないんだ。」 とYさんは語ります。
「それはまた、セラフィーム(愛の霊)とケルビム(叡智の霊)の力を背景とするトローネ(意志の霊) の流出した熱という供犠の成就とも言える。」
このあたりは、シュタイナーの神秘学の中でも難解なところでもあります。
先日のミヒャエル・デーブスさんのレクチュアでも重要なテーマでした。
ふと大祓祝詞の一節がこのことに触れているような気がしました。
「天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 國つ罪 許許太久の罪出でむ」 あめのますびとらが あやまちをかしけむくさぐさのつみごとは あまつつみ くにつつみ ここだくのつみいでむ)
罪や悪が「過ちおかしけん」とつながっており、天界での出来事と関わる事件というのは 聖書の「天の戦い」の神話ともつながるのでしょう。
そして悪の可能性は人間がが地上的生存 を克服してやがて自由な存在に向かう霊的な根拠を持っていることにも深く関わっているという のです。
このあたりは、神道の方が直截に把握していますが、「解釈」を拒絶している神事に 封印されているのでしょう。それは、「能の幽玄」にも似ています。
自由について、カルマ論について、そしてシニア・ライフの楽しい過ごし方についてYさんご夫妻 と語らい、翌朝は大三島を観光。
ジオデシック・ドーム構造を応用した(有)上弘さんの作品 「ところミュージアム」で彫刻作品を楽しみ、伊藤豊雄ミュージアムも訪問。 大山積神社を参拝し、塩風呂マーレグラッシアに入って帰途につきました。
鳴門の渦、伯方島の海花火、大三島の塩風呂やミュージアム、神秘学とカルマ論の語らい 海の生命的エネルギーに包まれて、癒しとパワー充電の夏休み・島の輪の旅となりました。

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