2013年4月9日
はい、どっと・あふたぬーん(=^o^=)やまねこ庵でこざいます。
『茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々じゅんじゅんと教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。』
これ、なんだかわかりますか? 明治の文人、岡倉天心が著した『茶の本』(The book of tea) の冒頭です。天心がボストン美術館に勤務の時期にニューヨークで英米人に向けて書かれた本 です。
お茶やお花が習い事として親しまれている一方であまり読まれない本ですね。
本書で天心は、茶道のエッセンスを語りかけます。
茶は衛生学であって経済学である。茶はもともと「生の術」であって、「変装した道教」である。
○われわれは生活の中の美を破壊することですべてを破壊する。誰か大魔術師が社会の幹から 堂々とした琴をつくる必要がある。
○花は星の涙滴である。つまり花は得心であって、世界観なのである。
○宗教においては未来はわれわれのうしろにあり、芸術においては現在が永遠になる。
○出会った瞬間にすべてが決まる。そして自己が超越される。それ以外はない。
○数寄屋は好き家である。そこにはパセイジ(パッサージュ=通過)だけがある。
と深遠なテーマを展開してゆきます。まるでタダイストでアヴァンギャルドです。
今日は、乙スタジオのI社長と「茶室のある家」という物件を見学に行きました。 市街地の閑静な住宅街の一角です。スモール・ハウスですが、風流を意識した茶道と住まい かな。生活にスモールな美学を発見するには、おすすめ物件かも。
灯篭、つくばい、植樹と石庭など数寄を凝らしたアブローチ、床の間、茶室の窯もあります。 増築部分、茶室、キッチンなどトータルなリフォームをすれば、劇的ビフォー・アンド アフターになるかも・・・。
ただ、一杯のお茶を楽しむ風雅の心、数寄屋作りや侘び、寂を嗜みたいものですね。
ああ無情、思えばやまねこもオッサンになりました。 これでも昔はプログレ、ニューウェーブ、テクノ、パンク青年だったのですよ。