有田焼の里で『山頭火展』

2014年11月2日

はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ侘び茶堂でございます。
金持ちケンカせずおじさんと佐賀県有田町を訪問してきました。一泊二日の旅です。
俳人 種田山頭火にちなんだギャラリー展のお手伝いです。
版画家 秋山巌 小崎侃 俳人 山頭火研究家 大山澄太の「山頭火のこころをつたえる三人展」です。
作品群を車に積んでIさんと早朝から八幡浜港から臼杵そして、一路、九州佐賀県有田町へ。 有田のメイン・ストリートの「ギャラリー 夢」さんに着いたのは午後三時を回りました。
有田焼女性作家の浦川先生、ご家族とさっそく会場設営。 やっと完了したのは夜八時。11月1日からの展示会に間に合わせるためでした。 みんなで本場のチャンポンをいただきました。
「しみじみ 晴れて 風ふく 一人」
「ほろほろ 酔ふて 木の葉ふる」
「日向ぼっこする 猫も 親子」
山頭火の心境がつたわる味わい深い版画 墨跡数十展を眺めながらの作業でした。
「山頭火フォーラム」がちょうど年次大会が大分であるとのことでした。
開場設営を終えて、今朝愛媛をめざしました。
途中、臼杵の磨崖仏を拝観。気になって一度は訪ねたいと思っていたところでした。
「おそらく山頭火もここを歩いたろうな。」と思いました。
巨大な磨崖仏群は、山の修行者たちが手で彫ったもののようです。 数十年、あるいは百年を超えて彫られた石仏・・・。 数々のお墓が磨崖仏の前にありました。
ふと仏師であった父のことを思い出しました。
死ぬまで ほとけ 彫りつくし ということかなと思いました。
「雨だれ岩をもうがつ」と言いますが、人の手は岩をも仏さまにすることができるかな、 と思います。
帰途の道中、金持ちけんかせずおじさんと「ビジネスとアートと仏教」をそぞろに語らいました。
「何が仏教の本質なのかな」とIさんが聞くので
「人間の本質が仏教なんですよ。仏教にしたがって人間があるのではなく 人間の謎そのものが仏教なのだと思います。ゆえにお釈迦様にはじまり現代の人間にいたる道も 仏教への長い道のりかもしれませんね。」
そして「もの派」と言われたアートは、既存の表現方法、アート流派を拒絶するところから 始まったという興味深いお話に耳を傾けました。
七十数年に及ぶ彼の人生の中での出会いのめくるまーるは山頭火を世に出した大山先生と 現代アート「もの派」との出会いであったというのは、なんとなく「暗号」のように思えました。
「いろんなことや道を歩いてきたから、死ぬに際して後悔することはないなあ。」とIさん。
「それは一番大切なことだとおもうな。浄土教では陸沈というんだ。人の世に紛れて いるかいないかわからないほどに同化してゆく。ちょうどあの磨崖仏のように。 岩の中にほとけさまの笑顔だけが見える。岩に同化したほとけさま。」
山頭火の足跡をたどる九州の旅は、ほとけさまと自然と人の出会いの旅でした。

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