
2014年3月4日
はい、どっと・ちゅーんあっぷ(=^o^=)やまねこ人間乗組員でございます。
ポジティブ・シンキングについて考えています。気分がすぐれない人、気分がいい人 に関わりなくポジティブになれるか?というテーマです。
やまねこは意識のステータスをあげることが、ボジティブ・シンキングの本質だと考えています。
奇妙なことなのですが、ポジティブ・シンキングとはネガティブなものにポジティブな意味を 見出す「ものの見方」を伴っているのではないかと思うのです。
例えば、雨が降れば「雨のある暮らしを体験できる」ことに意味を認める。 「雨に歌えば・・。」みたいなもので鼻歌でも歌えば結構楽しい、そうでなくとも自分が コイン・ランドリーを経営していると考えれば大歓迎の雨。
通常ネガティブに捉えがちなことにそれなりのポジティブを発見できればあとは 「意識の持ち方次第」であることが了解されてくるのです。 ネガティブな現実をポジティブに捉える能力を高める・・・とでもいいましょうか。
また、社会との関わりにおいても「何か新しい意味や役割を付与する」ことがボジティブな 意味を伴ってきます。
ガネーシャが 「自分の中に足りんと感じてることがあって、そこを何かで埋めようとするんやのうて、自分は充分に満たされている、自分は幸せやから、他人の中に足りないことを見つけ、そこに愛を注いでやる。この状態になってこそ、自分が欲しいと思ってた、お金や名声、それらのすべてが自然な形で手に入るんや。だってそやろ?自分らは、お金も、名声も、地位も、名誉も、自分で手に入れる思てるかも分からんけど、ちゃうで。むしろ逆やで。お金は他人がお前にくれるもんやろ。名声は、他人がお前を認めたからくれるもんやろ。全部、他人がお前に与えてくれるもんなんや」 と語る理由。
私の意味とは、実は人に付与できる「意味を与える能力」ということに行き着くのかも しれませんね。 他人ばかりではない、自分の今ある状況を肯定し、より良き展開を鼓舞する意識の「力づけ」 と「構築力」を指しているのではないか。
ポジティブ・シンキングと人は言葉としては知っているかもしれません。 しかし、その内実はある種のトリックを含んでいると思うのです。
「エロスの神はもっともみじめな姿で人間の前に現れる」という神話 「パンドラの箱の底から最後に飛び立つのは希望だっという神話」は、人間の不思議について 何かを語っているような気がします。