
2013年6月14日
はい、どっと・ちゅーにんぐ(=^o^=)やまねこ亭でございます。
映画「2001年宇宙の旅」と「AI」を観ていました。 どちらの映画もスタンリー・キューブリック監督です。前者は監督デビューの頃の作品 後者は最晩年の作品。
共通点は、子供ないしは胎児が人間の未来を暗示していることです。
これは、ネオテニーという生物学説から来ています。
ネオテニーは発育過程が「遅滞」することによって、胎児や幼児の特徴がそのまま保持される風変わりな生物学的な現象をいう。あきらかに生物的な戦略だ。
どのように「遅滞」がおこっているのかということを、わかりやすく知るには、ひとまず生物の進化のステップを前後して見るといい。
たとえば魚類は進化して両生類になる。そこでカエルをよく見てみるといい。カエルの子はオタマジャクシという魚類のかっこうになっている。なぜオタマジャクシはカエルの子であるのに、お父さんのカエルに似ないで、ひとつ前の生物のかっこうを選んだのか。
チンパンジーとヒトとは進化の系統樹では隣どうしになっている。そのヒトの赤ちゃんの顔はお父さんにもお母さんにもまったく似ていない。何に近いかといえばチンパンジーの顔に近い。では成長したはずのヒトの大人は何に似ているか。そうなのだ、ヒトの大人はチンパンジーの赤ちゃんに似ているのである!
いったいこれは何を意味するか。 生物学的には「ペドモルフォシス」(paedomorphosis)という。
ペドモルフォシスは「幼形進化」と訳す。系統発生している生物において、先行した生物の幼形にみられた特徴が後発してきた生物の成体にジャンプして発現してくることをさしている。
スティーブン・グールドは『個体発生と系統発生』という大著において、ネオテニーとは生物の生活史戦略だという主張をした。
生物学の祖のひとりエルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」はよく 知られています。人間も原生動物から魚類、両生類、爬虫類、哺乳類の過程を母体内で たどって誕生します。
2001年宇宙の旅は「胎児に似た生物」で終わります。 AIはアンドロイドの子どもの夢を高度に進化した人間らしき存在が「我々の祖先の夢」 を復元するところで終わります。
ルドルフ・シュタイナーはエルンスト・ヘッケルの良き理解者であり、友人でした。
シュタイナーは、ダウン症などの障がいは人間の未来の姿なのだと直感します。
何故ならば、ダウン症児は個体意識が著しく未発達なまま生きているからだというのです。 誰に対しても注がれる博愛的な反応、自分を守ることのできない動作、意識の広さなどが 人間の次なる進化のプロトタイプを為しているのではないかという捉え方です。
ただ、彼らに欠けているのは「個体意識」であるというシュタイナーの直観は、何を意味 しているのかというと、いずれ人間は個体意識を保ったままダウン症児のような意識の広さ を獲得してゆくだろう、ということです。
AIの高度に進化した人間は、すでに肉体体的な形態は持っていません。 かすかに物質部分に共有部分を持っているだけです。
意識の進化とは、ネオテニーとは?と考えるやまねこでありました。
※映画『イデオッツ』
世界中に賛否の渦を巻き起こした問題作『イディオッツ』の撮影現場にイェスペル・ヤルジルが密着して撮ったメイキングフィルム。日本では『イディオッツ』公開時のイベントで、『辱められた人々』として上映されたのみの貴重な作品である。
ルドルフ・シュタイナー(※)の「ダウン症の人々は人類への贈り物、天或いは他の星からの訪問者のようなもの」という主張に深く共感したトリアーが、「映画というぼくの遊び」のなかに出演者やスタッフを引きずり込んだ『イディオッツ』の撮影現場が、いかに破天荒なものであったかが映し出されていく。
常識や良識から遠く離れ、映画の魔法にかかったとしか形容しようのない領域に皆で足を踏み入れていく興奮、そして混乱。撮影の合宿中に起こる様々な問題、トリアーを突然襲う不安神経症、“裸のセッション”や森のピクニックシーンの撮影現場でのトリアーの映画を作る喜びに満ちた表情、そこに流れる幸福感。あなたはきっとそこに映し出されたすべてに心揺さ振られずにはいられないだろう。 (雨宮)
(※)ルドルフ・シュタイナー:オーストリア帝国(現:クロアチア)の思想家、哲学者