格付けの外で生きる

2014年9月30日

はい、どっと・こむばんは(=^o^=)やまねこ亭でござります。
tomokoさんと語らっていました。「格付けの外でいきる」という風変わりなテーマです。
やまねこは、以前みかんの選果場の選別システムの保守管理の仕事をしていました。 みかんは、糖度・酸度・色合い・サイズなどによって秀・優・良という格付け品と格外品 に選別されます。秀品などは、超高級なみかんということで主に関東・阪神のホテル、割烹など に出荷されます。製品の一割にも満たないのです。優品はギフト。良品はそりなりの価格。 格外品は、選果に漏れたみかんで「スルー・ライン」に流れます。いわばアウト・コースです。 選別システムはかなり、厳密な精度なのでこれらに漏れると格外品のみかんということになる のです。
人間もこういう「格外品みかん」でありたいなというのがやまねこ的価値観です。
誰も選ばれなかった人間とは「格付けの外」なのです。
わたし「格外品の人生を生きようよ。」
tomokoさん 「そうね。その方が賢明だわね。現代は、選ばれた人は苦しいか、厳しいか どこにとばされるか、わからないしね。格外でいるほうが、自由で身軽だと思う。」
そのとおり。
最近よく読まれているという『無名の人生』(渡辺京二著)にもこんなくだりがあるらしい。
「「平凡な一生を送ってはいけない」「社会的に認められた自分にならなければならない」と思い込んでいるからです。そういうプレッシャーが、今ほど強い時代はありません。昔の人間なら、「平凡な一生で終わって結構です」。ところが今は、「平凡な一生を送っては、生まれてきた甲斐がない」。
「何らかの形で、人に、社会に、認められなければならない」というプレッシャーに押しつぶされて、苦しんでいる人が多いように思えます。だから、そういうプレッシャーとは無関係に、自分の好きなことだけやってきた僕でも、何とか生きてこられたと知って、「それなら自分も大丈夫」と思って下さる方がありはしないか、と。」
やまねこは、ひとり一人の夢やヴィジョンは大切なものだと思っていますが、それを他人や世間に 評価されたりすることには、二次的な意味しかないと思っています。
自由に生きる、スルーな方向にゆく、身軽でいるということのほうが「自分の生き方」という感性 にフィットしてくると思うのです。
選考されたり、格付けされたり、抜擢されたりするよりも、淡々と「自分のワークと哲学」を 構築する方が楽しい。
『Think Simple~アップルを生み出す熱狂的哲学』(ケン・シーガル著)という本を買ってきて 読んでいます。

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